2012/08/05

日本人として違和感を感じるぜ

男子水泳メドレーリレー、銀メダルとれてよかったなぁ。

だけどね、インタビューがちょっと気になるんだよね。誰が話したか忘れちゃったけど、

「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないと3人で話し合っていた」といった類の発言。

大人がテレビでこんなこと話すか?って感じ。

北島だって平泳ぎでメダル欲しかったと思うけど、自分の種目のことはしゃーないと切り替えて、後に続く若者がメドレーでメダルがとれるようにと、チームの精神的支柱として、頑張っていたんだろうと想像する訳ですよ。

しかし、年下の連中に公の場であんな言い方されちゃうと、引導渡されたみたいで、惨めだよね。

本番で力を発揮するためにどんな準備をしようが全く構わないけど、何でも公に晒していいというものではないでしょ。

年上の北島をつかまえて、しかも本人の前で、あんな発言をするなんて、人への気配りが足りないというか、大人としての常識を疑うね。

そんな話は、引退して何年も経ってから、バラエティー番組ででも話せよって感じ。

選手に何かをしゃべらせようとするメディアの姿勢も問題なんだろうけどね。

その点、「男は黙して多くを語らず」的な柔道選手のインタビューはいいね。

2012/07/22

自転車でやってきた

この春から、大学の学生寮に入った長男が夏休みで帰省しました...自転車で(爆)

奴は、中学で卓球部、高校でボート部に所属していましたが、何を思ったのか大学ではサイクリング部に入り、私の母親からもらったお祝い金をバーンと使って十ウン万円の自転車を買ったらしい。自転車を自慢したいのと、交通費を浮かすため、3.5時間の道のりをペダルを漕いで帰ってきたとのことです。

うちの嫁は、「自転車で帰ってくるなんて信じられない」ということですが、サイクリング部が3.5時間くらいペダルを漕ぐのはなんでもないことなんでしょう。なんつったって、自転車かついで北海道まで行くような連中だし。

それはそれでいいのだけれど、さすがに十ウン万円の自転車を外においておくわけにもいかず、部屋の中が駐輪場となっているのがなんとも鬱陶しい。

2012/04/29

トランスフォーム


朝のランニング、今日は気分を変えてバイパス沿いを走っていたら、模擬試験でも行われるのか、制服姿で自転車に乗った中学生が何組も通り過ぎていく。

古いバイパスってのは大抵郊外の農地の真ん中を突っ切っているから、周辺住民が少ない故、車以外が通ることは想定していなかったのだろうか、歩道の幅がやたら狭い。今ではバイパスが通ったことで農地の宅地化や商業地化が進み、歩道も結構人が行き交う状態になっている。そういうことを見越して、車道だけ立派にするのでなく、歩道も充分な幅をとっておけばよかったのだろうが、鉄道は狭軌、首都高は2車線と、「狭い国土の有効活用」にばかり目が行っていた当時は、そんな発想は浮かばなかったのだろう。

それはさておき、いつもは歩いて登校している中学生が、友達と自転車でそこそこの距離のところへ出掛けるとなると、そりゃぁ浮かれますわなぁ。狭い歩道を二列縦隊で話をしながら、次から次へとやってくる。そんな状態でランニング中の私とすれ違うわけだが、あの人達の行動はとっても不思議。

まずは自転車を減速(はい、基本のキです)。次にどうするかというと、二列縦隊の幅を可能な限り狭めて私とゆっくりすれ違う。つまり、すれ違う瞬間は歩道に3列になっているということだ。こういう場合、予めすれ違うことを見越し、手遅れにならないタイミングで一列縦隊に「とらんすふぉぉぉーむ!」し、すれ違いが完了した後に再び二列縦隊に復帰、というのがノーマルな方法だと思うのだが。

玉石混合の情報の波にさらされ、携帯、ゲーム、ネット、どうでもいい人付き合い、勉強などで時間に追われ、脊髄反射的に生きている最近の子ども達。現状維持に一所懸命で発想の転換や柔軟な発想をする力や活力が足りないのだろうか。「こういうときは一列縦隊になればよい」という発想すら浮かんでいないんじゃないか...とニッポンの行く末が心配になった。

「向こうからオヤヂが走ってくる~。あたしたちおしゃべりやめたくないし、こっちが少し左に寄って、オヤヂも反対側に寄ってくれれば、並んだまま通れるよね。一列になるのメンドクサイから、このまま行っちゃおう」という思考過程の末の結論であれば、オヤヂはニッポンの行く末に少しは希望を見出せるのですが。

2012/03/05

ネットが発達した世界の行く末

我が家では、週末の夜は夕食前に家族揃っておつまみを食べるという変わった習慣があります。大人はお酒を飲みながら、子どもは清涼飲料水を飲みながら、ナッツ、マメ、チーズ、枝豆等々、いわゆるおつまみをつまむ訳です。

夕べのこと、おつまみをつまむ食卓で、次男が携帯でメールを打っていました。私や長男がやめるように注意してもなかなかやめません。私が駅や電車で普段見掛ける携帯野郎と同様に、注意散漫になっていてこちらの声が聞こえていないのでしょう。

そこで私がガツンと一言。

「お前、おかしぞ。どうして遠くにいて姿が見えない奴の言葉には返事して、目の前にいる人の言葉には返事しないんだ。目の前にいる人のことを優先しろ。ここにいない人から来たメールなんて、慌てて返信なんかしなくていいんだ。電話ならともかく、メールという時点で急ぎの用事じゃないんだから、自分が都合のいいときに返信すりゃいいんだ。くだらない内容だったら放っておいてもいいんだ。携帯を握りしめてメールを待ちかまえ、来たメールにすぐに返信なんてことをしていたら、お前のやりたいことをする時間がなくなるぞ。携帯に夢中になっていると、お前の人生の時間は携帯に奪われるぞ。携帯に支配されるんじゃなくて、携帯を道具としてお前が伸びるような使い方をしろ。」

聞いていたんだか聞いていないんだか、とりあえずメールはやめました。しかし、メールが気になって心ここに在らずだったのでしょうか、自分のコップに清涼飲料水を注ごうとした時、手にしたペットボトルが長男のコップにぶつかり、中の清涼飲料水がテーブルに流れ出したぁぁぁ。私が大慌てでティッシュで流れを食い止めようと奮闘している横で、次男はペットボトルを持ったまま流れの先頭が移動するのをぼーっと見てる。彼の脊髄には「ジュースがこぼれた→急いで拭く」という反応パターンはインプットされていないようです。なにが原因かはわかりませんが、ゲームや意味のない短いメールのやり取りなどの単純な反射で脊髄が鍛えられ、ちょっと複雑な動きには反射できなくなっているんじゃないかと心配です。

そんな訳で、次男は3度めの携帯没収となりました(爆)。

しかし、ネットを使った情報伝達方法の発達というのは、便利な反面、末恐ろしい気がします。目的の人に対して声を発する必要なく瞬時に情報が届くので、「目の前にいる人」、「地球の裏側にいる人」という認識の仕方がなくなりつつあるのかも知れません。そのうち、「目の前にいる人に声で情報を伝えるより、遠くの人にテキストで情報を伝える方が楽」なんて奴が出てくるのかも。

昔と違って、本人に情報を伝えるのにゲートキーパーを突破する必要もなくなりましたから、目上の人と話すに相応しい言葉遣いと態度を身につけるとか、相手の顔色や声色を見るとか、人として成熟するために必要な技術を身につけられる機会が減りましたなぁ。昔は女の子に電話するなんて、清水の舞台から飛び降りるくらいの気合いが必要でしたけど。

そんな訳で、あまりネットが便利にならないことを密かに願っているオヤヂでした。

2012/02/26

陽だまりの彼女

以前、新聞の書評で取り上げられていたことがきっかけで読んでみました。


平凡だ...というのが読み始めた感想。素人の私がプロの作家さんにこんなことを申し上げるのは大変失礼ですが、文章もそれほど上手ではないし、すっと読めない部分がところどころにある。ストーリー自体も、「枚数稼ぐためにダラダラといろいろなエピソード盛り込んで引き伸ばしてるんじゃねえのか」と思いながら読んでおりました。

そしていよいよ結末。ある程度伏線が張られていましたので、予想通りの展開になりました。

「やっぱりな」

しかしです。その決定的なイベントが起こった後の主人公の描写がとてもいいと思いました。ネタばれしちゃうからあまり具体的には書きませんが、読んでいて心が痛くなる感じ。

「それまでは皆の共通認識の対象であったものが、あるとき突然自分ひとりだけの記憶となり、それを他人と共有できないという状況はどれほど心細く狂おしいことなんだろう」

というのがそれを読んだ私の感想。あぁ、いい話だなぁと感じ入っていたところで再びどんでん返しが。

これも詳しくは書きませんが、アイコンが登場しちゃうんだなぁ。ここで私のテンションは切れました。ここからは、頭の中は名探偵コナンモードに突入。人間不思議なもので、心のモヤモヤを解決するヒントが現れると、全てを解決してスッキリしたくなっちゃうんですよねぇ。あぁ、あそこの記述も、ここの記述もこの結末への伏線だったんだと、謎解きをしてすっきり。

心の痛みを感じさせるストーリーが、この結末のおかげで、「随所に伏線が張られたよくできた話」という、落語を聞かされた後のような読後感になってしまいました。

教訓:書きすぎはいけない。結論は読者の想像に任せるくらいの余韻を残してやめなければ。