2012/03/05

ネットが発達した世界の行く末

我が家では、週末の夜は夕食前に家族揃っておつまみを食べるという変わった習慣があります。大人はお酒を飲みながら、子どもは清涼飲料水を飲みながら、ナッツ、マメ、チーズ、枝豆等々、いわゆるおつまみをつまむ訳です。

夕べのこと、おつまみをつまむ食卓で、次男が携帯でメールを打っていました。私や長男がやめるように注意してもなかなかやめません。私が駅や電車で普段見掛ける携帯野郎と同様に、注意散漫になっていてこちらの声が聞こえていないのでしょう。

そこで私がガツンと一言。

「お前、おかしぞ。どうして遠くにいて姿が見えない奴の言葉には返事して、目の前にいる人の言葉には返事しないんだ。目の前にいる人のことを優先しろ。ここにいない人から来たメールなんて、慌てて返信なんかしなくていいんだ。電話ならともかく、メールという時点で急ぎの用事じゃないんだから、自分が都合のいいときに返信すりゃいいんだ。くだらない内容だったら放っておいてもいいんだ。携帯を握りしめてメールを待ちかまえ、来たメールにすぐに返信なんてことをしていたら、お前のやりたいことをする時間がなくなるぞ。携帯に夢中になっていると、お前の人生の時間は携帯に奪われるぞ。携帯に支配されるんじゃなくて、携帯を道具としてお前が伸びるような使い方をしろ。」

聞いていたんだか聞いていないんだか、とりあえずメールはやめました。しかし、メールが気になって心ここに在らずだったのでしょうか、自分のコップに清涼飲料水を注ごうとした時、手にしたペットボトルが長男のコップにぶつかり、中の清涼飲料水がテーブルに流れ出したぁぁぁ。私が大慌てでティッシュで流れを食い止めようと奮闘している横で、次男はペットボトルを持ったまま流れの先頭が移動するのをぼーっと見てる。彼の脊髄には「ジュースがこぼれた→急いで拭く」という反応パターンはインプットされていないようです。なにが原因かはわかりませんが、ゲームや意味のない短いメールのやり取りなどの単純な反射で脊髄が鍛えられ、ちょっと複雑な動きには反射できなくなっているんじゃないかと心配です。

そんな訳で、次男は3度めの携帯没収となりました(爆)。

しかし、ネットを使った情報伝達方法の発達というのは、便利な反面、末恐ろしい気がします。目的の人に対して声を発する必要なく瞬時に情報が届くので、「目の前にいる人」、「地球の裏側にいる人」という認識の仕方がなくなりつつあるのかも知れません。そのうち、「目の前にいる人に声で情報を伝えるより、遠くの人にテキストで情報を伝える方が楽」なんて奴が出てくるのかも。

昔と違って、本人に情報を伝えるのにゲートキーパーを突破する必要もなくなりましたから、目上の人と話すに相応しい言葉遣いと態度を身につけるとか、相手の顔色や声色を見るとか、人として成熟するために必要な技術を身につけられる機会が減りましたなぁ。昔は女の子に電話するなんて、清水の舞台から飛び降りるくらいの気合いが必要でしたけど。

そんな訳で、あまりネットが便利にならないことを密かに願っているオヤヂでした。