2011/11/05

ぎっくり腰

昨日の朝、洗面所で歯を磨いていたときのこと。


やや前屈みのポジションでいるときに突然咳が襲ってきました。「これはくる、ヤバイ。」 こういった事態に慣れている私、洗面台に手をついて身体を支え、咳のエネルギーを後方にすっと逃がしましたが、軽いぎっくり腰をやってしまいました。連休の谷間のさしてやる気も出ない金曜日。休んでしまおうかとも思ったのですが、ボス+同僚1名が休暇予定。これは私が出勤してオフィスを支えなければと、よたよた出勤しました。もうぎっくり腰も慣れたもの、身体の重心の位置を適正に保てば、問題なく歩けます。

そして、今朝、ぎっくり腰などに負けてられないと、ランニングウェアに着替えて出かけようとしたら、iPodが電池切れでNike+が起動せず。ロックをかけておかなかったために、どうやらカバンの中でずっと音楽を奏でていたようです。気合充分だったのにギアがついて来ず。結局、Nike+なしで近くの遊歩道をよたよたと3往復、7km強くらい走ってきました。ぎっくり腰の養生中だからいつもの半分くらいで勘弁したろかと。

オチがない話ですが、この辺で。


2011/10/30

靴に走らされる

ランニングシューズを換えた甲斐あり、今朝は4分44秒/kmという私にしては驚異的なペースで走れました。2年くらい前は4分30秒を目標に頑張っていたのに、最近は速くても5分15秒前後という情けなさ。しかもそれが慢性化しているという救いようのない状態。ちょっと無理して高いシューズに手を出してしまい、それを正当化するためには嫁に成果を示す必要があるという「家庭の事情」が私を速く走らせているんでしょう(爆)。


この経験を通じて感じることは、速く走るには身体の鍛錬+気持ちの鍛錬が必要だってことです。以前は走る終わると息が上がって脚はパンパン、時には頭痛がしたりして一日使い物にならなくなることも。要はギリギリの線まで力が出せていたってことです。それが最近のサボりランの後では全然疲れてない...。身体が弱くなったってわけじゃなく、気持ちが弱くなって力が出せなくなってたってことなんだなぁと。

ここでバーンとFender USAのン十万円のテレキャスターでも買えば、またギターを弾く気になって、腕もプロ並になるだろうか。そんなわけないな。

2011/10/23

ランニングシューズ、新調しました。

今使っているランニングシューズ、もうかれこれ2年くらい履いているでしょうか。ソールは見事に磨り減って地の色が現れていますし、クッションもへたり切っている感じ。こんなシューズでは気合も入らず、タイムは全盛期に較べて20秒/km以上落ちているし、そろそろ換え時か...と思いながら某大型スポーツ用品店のシューズコーナーをうろついていると、いいタイミングで店員さんが声を掛けてきました。


今何を履いているのか、ランニングの頻度は?、走行時間は?、走る距離は?、ペースは?、タイムに拘る方?、レースに出るのか?、等々いろいろなことを聞いてくれて、お勧めのシューズ何種類かの機能や特徴を説明してくれました。

彼のお勧めは、クッションが充実しているけど固めで安定感があるという、ソールの厚い、いわゆる「ランニングシューズ」と聞いて普通の人が連想しがちな、ごつい奴。しかし私、今まで薄めのソールのシューズを履いていたし、それなりに足が鍛えられているはずという自負があるので、内心不満。

私の心の声を感じてくれたのでしょう、店員さんは、「それならば」ということでレーシングモデルのコーナーに移動し、レーシングモデルの中でもクッションが効くというシューズを勧めてくれました。これは驚異的に軽い上、かかとにエアーと補強柱が入っているのでよさそうです。

試し履きの感想は...、「これ以外あり得ない」。やはり新しい靴はいいですなぁ、かかとの反発が今のシューズより格段にいいのがよくわかる。歩いてみると、かかとを後ろから押されている感じとでもいいましょうか、素晴らしい! と、機能や履いた感想を話し合っているうちにすっかり打ち解け、私の向上心といいますか見栄っ張りな性格を見抜いた店員さん、中敷を勧めてきました。

「とりあえず紹介だけさせてください」と、機能の説明をしながら、片方のシューズの中敷を取り替え、履き較べてみろと促します。言われるままに足を入れてみると、別世界やん...。うぅん、このホールド感、あり得ん。ただちょっと気になる点が。かかとがちょっと高くなっているのとかかとの内側が持ち上げられて不安定になっているような気がする。その旨を伝えると、違和感があるようだったら、元の中敷と取り替えながら使って足を慣らしてくれと。

そんな訳で買ってきたわけですが、今朝走ってよーくわかった。かかとが高く感じられる分、自然に前傾姿勢になり、走らされる。かかとのクッションも効いているので、ガンガンかかとで着地して、ズンズン進んでいく感じ。

シューズを換えて走り方が変化したのでしょう、いつもは13km強と表示されるコースが今日は11.5kmの表示(泣)。1.5kmも損してるやん。でも、いつもは1時間12-14分で走っているコースを1時間8分で走れてしまいました、ちょっと吐きそうだけど(爆)。シューズの機能アップもあるかもしれませんが、モチベーションアップも大きな要素なんだろうな。

しかし、そう毎回距離を損してはいられないと、13km走った後に、nike+のキャリブレーションのために更に1km走り、更に吐きそうに...。4分50秒/kmなんてペースで走ったのは何ヶ月ぶりのことだろう。

2011/10/21

伊東屋

今、批評書を読んでいるせいか、それとも寒くなって心が研ぎ澄まされてきたせいか、批判的精神が再び目覚めてきました。

今発売中の日経ビジネスアソシエ、手帳特集ということで、私も買ってみました。その中に手帳の達人とか文具関係者へのインタビュー企画があり、銀座に店を構える伊東屋の社長さんのインタビューが掲載されていました。ずいぶんお若く見える社長さんなんだなぁ。記事の中で、社長さんがこんなようなことをおっしゃっていました。

自分も商品開発のためのノートを持っていて、デザインを描いている。
商品開発部で却下されることもあり、社長だからといって意見がとおるわけではない。

いやぁ、私はこれを読んで3つの点で大いに「はぁ?」と思いましたねぇ。

1.伊東屋といえば数店舗を構える大企業。その経営の責任者である社長さんが商品開発をやっている? ちゃんとプロのデザイナーを雇ってるんだろうし、社長がすべき領域の仕事ではないから、社長がそんなことする必要ないんじゃないの? そんなことをする時間があるなら、社長としてもっと考えるべきことがあるんじゃないの? それとも遊びでやってるわけ?

2.えっ、経営者である社長のご意向を商品開発部の従業員が却下するわけ? どういう価値観で成り立っている会社なの? 社長より従業員の方が権限を持っているの?

3.社長さん、遊び心で商品開発やったっていいんだよ、別に。でも、それを社外に向けて発信する必要あるの? しかも自分の意向が商品開発部の従業員に潰されるなんてことまで。

1.について、「不必要な面倒事はしない」、「なるべく少ない手間で最大の効果」、「労働時間はなるべく短く」を座右の銘とするプロのサラリーマンとしては、アマチュアがプロの領域に踏み込むのはどうかと思いますね。社長は究極的には全てに責任を負うのではあるけど、商品開発のためにプロのデザイナーさんを雇ってるんでしょ。自分の領域を侵されるデザイナーさんにしてみれば鬱陶しいだろうね。社長は自分がプロとして生きるべき経営に専念してりゃいいんだよ。他人の領域を侵す奴に限って本業でのプロ意識が足りなかったりするよね。商品開発部の従業員だって、社長の考えた商品を却下することにストレス感じてると思うよ。社長が余計なことしなければ、みんなハッピーに働けるのにね。

もっと言うとさ、最近は「出来る人がやればいい」的風潮もあるけど、こんなことしたら、仕事は優秀な数人に集まってしまい、何もできないやつはフリーライダーになっちまう。中には喜んでタダ乗りしてる奴もいるんだろうけど、居心地の悪い思いをしながらタダ乗りにならざるを得ない奴もいると思うんだよね。やはり、やるべき人がやるべきことをする世の中にして、みんなに仕事を渡した方がいいと思うよ。罪悪感を感じながらタダ乗りせざるを得ない状況になっちゃってる人とか、心が病んでしまうんじゃないかなぁ。

2.については、あんたの会社ではプロフェッショナリズムと地位のどちらが優先されてるんですかってこと。プロフェッショナリズムが優先されているなら、アマチュアの社長がデザインの領域に入り込んでくるのはいけないことだし、地位が優先されているなら社長の意向を従業員が却下するなどということがあってはいけない。この会社の価値観ってわからないよねぇ。社長と約束しても、社に持ち帰ったら従業員にひっくり返されるてんじゃ、安心して取引できないよ。

3.はさ、社内で別になにしてたっていいんですよ、所詮他人の会社だし。でも、うちはこんなデタラメな会社ですって外に言う必要ないよね。外からの見え方にみんなが気を使っているこの時代に、こんなことを公言するとは、センスのない人だなぁって思います。

見た目をお若そうだし、フランクな感じのする外見でしたが、従業員も消費者も取引先もみんな自分の友達という感覚で見ているように思えてならない。

2011/10/09

ゼロ年代の想像力

たまには固い本でも読んでみるかと評論本を買ってみたが、大当たり。


一言一句逃さず頭に入れ自分なりに解釈したくなるような内容。

お陰で、どうでもいい話を電車の騒音に負けないくらいの大声でぺちゃくちゃと延々しゃべりまくるサラリーマンの近くに不運にも乗車してしまったりすると、片道で5ページくらいしか読めないこともあるけど、嵐がおさまるのを待ち、書かれている内容をじっくりと頭に入れたくなる(強靭な集中力が欲しい)。

書かれている内容が正しいのかどうかはわからない。

そもそも評論に絶対的な真偽の判定を下すことはできないが。

しかし、観察によって私が実感している時代の流れに従った人間心理や行動の変化を、論理的に裏付けているようで、妙に納得感がある。

私がこの本を是認するのは、「私を承認する内容であるから」という、この本に書かれている論理に従った行動であるのかも知れないが。(読めばわかる。)

まだ1/4しか読んでないから、最終的にどんな感想を持つのかはわからないが、久々の金を出す価値のある本だと思った。

2011/07/22

チューキチョー

昼食時、四人掛けテーブルに座っていたら相席を頼まれ、二人の男性が同席。

席に着くなり一人の男性が店員さんに灰皿を頼み、タバコを吸いだした。同席している他人の私には一言も断りなし。私も一日5本程度の喫煙者ではあるが、昼飯時にこの至近距離でプカプカやられるといささか息苦しくなってくる。店が灰皿を出すってことは、禁煙という訳ではないんだろう。でも、店内でタバコを吸っているのは彼一人だけ。最近は、昼食時禁煙という店も増えたし、喫煙マナーという点で、たとえ喫煙者であっても混雑した昼食時の飲食店でタバコ吸う人はあまりいない。あぁ、咳き込みそうだ。早く火を消してはくれまいかと、煙たい表情で彼の顔とタバコを交互に睨んだものの、全く気付く気配なし。

二人の男性から聞くともなく聞こえてくる会話を聞いていると、二人はチューキチョーというところにお勤めらしい。○○チョーなんてお役所みたいな名前だ。そうか、こちらのお方は日本国民のために昼も夜もなく身を粉にして働いてくださっているお役人様だったのか。お役人様だったら、昼食時の混雑した飲食店で周囲の人に構わずご喫煙されるのも仕方がないな。こちらが我慢しておこう。

食事中、もう一人のお役人様はどうやらラー油がご所望だったようで、食事中の私の料理の上を跨いで手を伸ばされ、テーブルの端にあった調味料のビンをとられたものの醤油だったらしい。私のような身分の低い者は他人様の料理の上に手を伸ばすなんて失礼なことはできないので、「恐れ入りますがラー油をとっていただけますか」と同席者にお願いするところだが、「天皇陛下の官吏」と「臣民」という身分差があるから仕方がない。多少のことは我慢しないと。

お食事前におタバコを吸われていたお役人様は、夏休みはタイのバンコクでご静養されるそうで、ご滞在はコンラッドホテルだそうだ。さすがお役人様、ファイブスターズの超一流どころではないか。なんでも、ホテルのご手配を某有名旅行代理店に依頼されたところ、一泊9,700円という価格の提示を受けられたとのことだ。バンコクは物価が安い都市とはいえ、☆☆☆☆☆のホテルが9,700円とは驚きだ。某有名旅行代理店のホームページ見ても、そんな価格のパッケージは載ってないし。日本国の発展と国民の幸福を第一にお考えになり、お国に滅私奉公されている立派なお役人様のことだから、我々のような卑しい者には手の届かない特別な計らいでもあるのだろうか。所詮、外遊など我々には縁遠いことだから、そこのところは踏み込まずにおこう。

しかしまぁ、呆れたものだ。卑しい身分である我々ですら、トレードシークレットの流出を防ぐため、外部との無用の軋轢を避けるため、社外では仕事の話はしないし、意図せず自分の身分が明らかになるような行動は差し控えるものだ。立派なお役人様は国家公務員法によって守秘義務を課せられているはずだが、こちらが質問をしているわけでもないのに、身分や仕事、更には私生活のことまで教えてくださる。昼食時の飲食店で、我々卑しい臣民に不快感を与えながら、そんなおしゃべりをしていていいのだろうか。スパイはこういう人にくっついていれば仕事が楽だな。実際、こういうパターンで意図せず秘密が漏れていることがあるんじゃないか。

霞ヶ関城にいると、城下の空気を感じることはできないのかな。今日たまたま出くわしたお二人のお役人様が悪いということは全くないんだけど、今や殆どの臣民はお役人様方にとっては敵対勢力でしょ。不況、震災などによる臣民の不満、それに油を注ぐようなお役所の不手際、不祥事、お役人様のわがままな行動。お役人様はいつでも吊し上げを食らうような状況だと思うのだが。私のような卑しい臣民がお役人様になれるはずはないが、仮に私がお役人様だったら、自分に何ら非がなくとも、業務以外の場では自分がお役人様であることを人に知られたくない雰囲気だ。

まあ、私のような卑しい臣民とは違って、志高くご努力をなさってお役人様に上り詰めた立派な方々だから、健全で屈強な心を持ち、私のように卑しくこそこそと隠れたくなるような心理にとらわれることなどないのだろう。

全くもって、ご立派な方々だ。

2011/07/14

ツイッター

「今○○にいる」、「今○○してる」といったどうでもいい情報や、自分の生活圏、行きつけの店等々、個人情報の暴露に繋がることを、ものすごい頻度で書き込む人がツイッターには多いっすなぁ。

これだけの情報が公開されたら、バーチャルストーカーってのも増えるだろうし、「変なメールが来た」といった類の当事者間の揉め事ってのは相当あるんだろうなと想像されます。

どうしてみんな、とてつもない頻度で一文の価値もない客観的事実(しかも個人情報)を書き込むことにエネルギーを費やすのか不思議。

かく言う私もツイッタラーですが、私は客観的事実よりも「思想的な事」を書くように心がけています。「昼食なう」なって書き込みよりは少しは価値があるかなと。

しかしね、思うのですよ。その昔、思春期の頃、心に浮かぶ考えや思想(今思えば単なる世の中への不満)をノートに書いていたよなぁと。しかも、書いた文章はどこにも出さないし、誰もノートを読まないという前提で。誰も読まない前提だから、人には絶対に言えないことも平気で書けるし、どんな過激な思想もOK。そうやって心の浄化を図っていたように思う。

そういうことをやってる人って今もいるのかな。今はやりのツイッターもブログも公開が前提だから、実名報道はアウトだし、個人情報の暴露に繋がる内容もアウト、世の中に受け入れられないよな思想もアウトだろうな。かなり制限を受けて書いてるよね。そういう環境では「昼食なう」くらいしか書くことがなくなってしまうのだろうか。

というか、他人に気を使いながらつまらん文章を書いてもスッキリしないだろっ!と思うけど、その辺、どうなのかしら。

2011/07/11

F1

今朝も暑いなぁとうだる車内でいつものようにpodcastを聴いていたら、今朝は心がときめくような話題が。

皆さん、F1て好きですかねぇ。私は子どもの頃からF1好き。ニキ・ラウダが現役で走ってるころからテレビでレースを見てますからね。最近はすっかり関心が無くなってしまいましたが、それもこのおっさんがpodcastで言っていることに原因があるのかなと。

この週末はイギリスのシルバーストンでF1のレースが行われたようで、BBCのpodcastもF1の話題。ガーディアン紙のスポーツ部門の編集長といういかにも固そうなおっさんがでてきて、キャスターのおねえさん相手にF1のことを語っていました。

おっさん曰く、

50-60年代のレースでは、車もエンジンもチームによってバラバラだったので、チームによって排気音が大きく違っていたものです(高級紙の編集長なので語尾は固めにしてみました)。エンジンは、12気筒、10気筒、8気筒、6気筒などいろいろあり、12気筒エンジンを積んでいたフェラーリの排気音は甲高いものでした。いろいろな排気音があったので、まるでオーケストラが奏でる不協和音のように聞こえたものです。

と、ここで50年代末のレースの音を放送。

うんうん、確かに、フェラーリらしき高音から○○様ご用達極太マフラーっぽい低音まで、バラバラに鳴り響いてるよ。

50年代末のレースの音を聴きながら、キャスターのおねえさん曰く、

本当にエンジン音が違うわね。排気音聴いただけでどのチームのエンジンかわかる?...と激しい突っ込み。編集長曰く「さすがにそれは...」

じゃあ今度は最近のレースの音を聴いてみましょうと、90年代半ばの音。

おねえさん曰く、確かにみんな同じように聞こえるわね。

コスト削減のために各チームが気筒数が同じエンジンを使うようになったから、みんな同じ音なんだとおっさん。さらに、そのうちみんな6気筒のエンジンになっちゃうだろうねと寂しいことを...。

確かに昔はフェラーリの12気筒あり、フォードの8気筒あり、1.5リットルのターボ付きありと、みんなバラバラだったよね。仕様の効率とチームの財力と根性に応じて、最適なシステムを選択するという自由度があって面白かった。子どもにとっては、各チームのエンジンスペックを調べて覚えるというのも楽しみだったし。

現在のレギュレーションというのは、公平性の確保というよりも、夢とロマンのF1が商業主義に陥った結果なんだろうなぁと思います。レースには、メーカーの名誉や宣伝という目的の他に、技術開発、開発技術の市販車へのフィードバックという重要な使命もあったはず。市場の競争では、「スカイラインは強力なエンジン積んでるからカローラより速くてずるい、スカイラインにリミッターつけろ」なんて議論はないわけで、レースも同じなんじゃないかなぁ。

「公平に戦って勝った○○ちゃんはえらいねー」なんて幼稚園児のようなレースではなく、技術と根性と財力をつぎ込んで開発した美しいマシンによる胸躍るようなレースが見たいっす。

件のpodcastはこちらです。

http://downloads.bbc.co.uk/podcasts/radio4/today/today_20110709-0956a.mp3

2011/06/27

外国人観光客

今朝のこと、超混み混みの地下鉄に、観光客らしい外国人集団が乗り込んできた。

日本のラッシュアワーには慣れていない様子。さらに、人が密着することに慣れていないのと、知り合いと密着するのはイヤなのだろう(その気持ちはよくわかる)、彼らの周囲は妙に人口密度が低く、こっちはそのツケで圧力が異様に高まってる。満員電車ビギナーだし、折角の遠方からのお客さんだから、そのあたりは不問としてやろう。

私は、乗り換え駅の上野で、ホームの階段がちょうど降り口の前に来る車両に乗っている。そんな訳で、私の乗っている車両で上野駅で降りる人は多い。戸口近くの人は、降りる降りないに関らず、一度外に出て降りる人を降ろすというのがマナー。そんな訳で、普段は上野駅での降車は割とスムーズ。

しかし、今日は違った。この外国人観光客集団が降り口をブロックしていたのだ。中の人は降りようとグイグイ押すものの、外国人も降ろされまいと頑張っているものだから誰も降りられない。まぁ、そうだよな。言葉が通じず、状況が把握できない状態でそんな目にあったら、俺も降ろされまいと頑張ると思うよ。全く悪気はなく、日本の習慣になれていないのと、日本語ができないから「一度降りろ」という駅員の指示が理解できないだけ。

英語で簡単なインストラクションをしてあげたかったけど、日本人同士ですら電車内で会話をする文化のない東京の地下鉄、他の乗客の面前で外国人に英語で指示を与えるのは、内気な私にはちょっとハードルが高かった。

結局、圧力に負けて彼らは一度降り、事なきを得たんだけど、こういうときにコミュニケーションできる勇気が欲しいなと思いました。

外国で困ってるそぶりを見せると、多くの人は現地語+身振りで教えてくれようとするもんな。観光庁はまず、観光業に関らない一般的日本人のホスピタリティー+コミュニケーション力を改善する取り組みをした方がいいと思います。改善というのは、能力を伸ばすことばかりでなく、既に持っている能力を発揮しやすい環境づくりも含めて。

今朝のことは、俺が勇気だせば済んだことなんだけどね。

2011/06/17

残念な昼食

午前中に大手町での会合を終え、オフィスへの帰り道。
たまには都会でうまいものでも食っていくかと。
しかし、大手町なんていうアップタウンには地の利がなく、どこに行けば何が食えるやらさっぱりわからず。
しかも雨が降っているのであまり地上を歩きまわりたくはない。
東京駅に行けば何かあるだろうと、歩いて東京駅八重洲地下街へ。

都会でうまいものを食べようと思ったら、やっぱりお金を出さないとダメだね。
テナント料、人件費が高いから、ベースラインが高いんだから、うまいものは高いのが当然。

リーズナブルな値段でそこそこ繁盛しているラーメン屋があったので入ってみた。
ラーメンは、安くてもうまい店があるので、ここはどうなんだと。      ダメだった...。
多分、「周囲の店より安い」という魅力だけで、サラリーマンを惹きつけている店だったのだろう。
それでもオフィスの近くのラーメン屋のラーメンより120円も高かったけどな。

都会に安くてうまいものなし

2011/06/06

モチベーション

土曜日のランニングは20日振り。出張前日の土曜日は万全を期してランニングをお休みし、帰国した週末は土日とも雨で走れず。先週は出張後の後始末でいろいろと忙しく、身体も疲れ気味。あぁ、休みたい、ここで休んだら一生走れなくなるぞぉ、という心の葛藤の末、走ることにしました。ゆっくりね。

ゆっくり走ったのに、走行後には珍しく太もも前部に筋肉痛が...。きっとイヤイヤ走っていたので、知らず知らずにブレーキをかける走り方になっていたのかなぁ。さらに、久々に出ました!
右ひざ外側の痛み。数年前の走り始めの頃は、こいつが出て、200mくらい走ったところで痛くて走れず、その日のランニングを断念したことあったからなぁ。ナメてるとヤバイんだよなぁ。

そして日曜日、痛みはとれない。しかーし、自ら課した週末26km、月100kmというノルマ、そう簡単に破ることはできません。だけど不安。そこで、いつもは6.5kmのコースを往復するのですが、いつでも家に帰れるようにと1.3kmの河川敷コースを5往復することにしました。

序盤はまぁいけるかなと快調。折り返し地点付近でジョギング中の美しい女性とすれ違い、「美しい女性が後ろから付いてくる」というのが強烈なモチベーションとなり、2往復目突入。折り返し地点でまた彼女とすれ違い、激しくやる気アップ。2往復が完了したところで迷わず3往復目に突入。またまた彼女とすれ違いました(嬉)。3往復目半ばの折り返し地点、折り返してみると彼女がいない...。このコースを2往復すれば5.2km、普通のジョガーはこのくらい走ったらやめるわなぁ。足取り重く帰路完了。膝も痛いしもうやめたい叫ぶ心を押しとどめ、4往復目突入。しかし、美しい女性はもう帰ってしまったし、走っていてもちっとも楽しくない。4往復すれば10.4km。膝が痛むこの状況で10km走れば立派なもんじゃないのか。しかし、こんなことで自分を合理化していては、もっと辛い困難に立ち向かえなくなるぞ〜。悩んだ挙句に5往復目突入し、特に書くべきことは起こらずあっさり完走。

やってよかった。4往復でやめていたらモヤモヤした心で一日すごさなければならなかっただろうけど、困難を乗り越えての達成感はきもちいいーっ!

しかし、日曜日の残りは筋肉痛と膝の痛みに悩まされ、激しく体力を消耗したせいか頭痛にも襲われるという踏んだりけったり状態。おまけに昼に食べた激辛坦々麺の山椒で胃はやられるし。月曜日の今もまだ痛むよ(悲)。

いろいろあるが、何もない週末よりずっといいな。

2011/06/02

石油王

先週のテキサス出張、子どもたちへのお土産にはテキサス印のキーホルダーを買ってきました。

重量感のある金属製で、"I love TEXAS"なんて書いてあるくせに、裏には"Made in
China"のシールが...。それでも$4.99もする立派なものです。

長男はさっそく、普段使っているペンケースにつけてくれたようです。

昨日のこと、長男が

「とーさん、ペンケースにつけていた"I love TEXAS"のキーホルダー、クラスの奴に気づかれたよ」と

どうしたのか → 親父の出張のお土産 という会話を経て、親父の仕事は何なのかという話になったそうです。

テキサスに出張と聞いて思いつくといったら、牛肉の買い付けか石油掘りってとこなんでしょうかね〜。

めでたく私は「石油王」ということになったそうです(笑)。

いーよなー、石油王。

俺もなりてーっ!

2011/05/29

アメリカ

この間、4回目のテキサス出張から帰ってきたわけですが、何度かアメリカを訪れているうちに、だんだんアメリカが好きになってきたような気がします。


私が始めて海外に降り立ったのは、パリのシャルルドゴール空港、23年前のことでした。大学の卒業旅行ということで、友人と二人、有り金1300ドルで1ヵ月間ヨーロッパ放浪という旅をしました。ヨーロッパは駅前に行けばどこか泊まれるところがあるし、泊まるところが見つからなければ夜行列車に乗ればいいし、長距離・短距離の公共交通機関が整備されているので、旅行者にとっては快適な場所でした。

それ以来、仕事で何度も海外に行かされ、アジア、ヨーロッパ、中東、果てはアフリカまで含む26カ国に足を踏み入れているというのに、今の仕事に携わるまで、アメリカには1回しか行ったことがありませんでした。カタールには2回行ったことがあるのに、アメリカには1回しかいったことがない奴ってきっと珍しいと思います。

昔から、自由でカオス的なイメージのあるアメリカよりは、歴史と伝等に裏打ちされ整然としたヨーロッパの方が好きだったのですが、最初に訪れたアメリカを訪れた時、①街の中心がどこにあるのかわからない、②車がないとどこにも行けず旅行者にとっては不便、という悪い印象を持ってしまったので、ますますアメリカが嫌いになってしまいました。それと、外国で出会ってもひと目でアメリカ人とわかる彼らの同化しない行動様式が鼻につくというのもありました。

そんな訳でこれまで私用で行った唯一の海外旅行である新婚旅行もヨーロッパだったし(爆)。

ところが、この間の出張を終えていろいろなことを考えてみると、そんなにいやなところではないかもなと思えてきました。

どこで出会ってもアメリカ人とわかる個性の強さは自分がどこにいても自分のアイデンティティを失わない強さなのだろうし、王様が国を作ったヨーロッパと違って、移民が自主独立の精神で国を作ったアメリカで公共交通網が発達していないのも理解できる気がします。移動するなら自分で幌馬車(今なら車)を運転して移動すればいいじゃんってことなんだろうな。それに、国土が広大で人が住まない地域もあるから、日本やヨーロッパみたいな密度の高い公共国通網はいらないんだろうな。

さらに、寄せ集め国家故か、異質なものを受け入れる度量が高い気がします。「ふん、お前はフランス語をしゃべらないのか」という態度のフランス人と違い、英語が変でも相手が何を欲しているのか理解しようとする努力が見られます。。帰りに空港まで送ってもらったタクシーの運転手、わかりにくい変な英語しゃべるなぁと思っていたら、運転中にかかってきた携帯にはスペイン語で対応。ここはテキサス、メキシコ移民が多いんだよねぇ。要は、変な英語しゃべる運転手もちゃんと社会に溶け込んで生きてるってこと。

国内・海外を問わず人とのコミュニケーションが苦手な自分は、今までアメリカが嫌いなのではなくて怖くて逃げていたのではないかという気がしてきました。

実はアメリカというのは、私にとって越えなければならない山だったのかも知れません。

12月のテキサス出張が楽しみです。

2011/05/26

お土産買った

こちらは5月25日の午後4時半頃です。


今日の午前中のミーティングでテキサスでの任務を完了し、やっと帰れることになりました。たった6日間の出張なので、「やっと」などというほど大変なわけではありませんが、仕事と会食以外は一人で過ごす6日間というのは結構疲れるものです。

帰るとなるといつも困るのがお土産です。基本的に買い物は苦手、お土産なんて空港で適当に買って帰ればいいという考えの持ち主ですが、こちらテキサスの空港にはあまり店がなく、おまけにろくなものを売っていないということをこれまでのテキサス出張で学んでいます。となると、街中で何か調達しなければならない。今日の午後は何も予定がなく、お土産を買いに行けと言わんばかりのスケジュール。と言うわけで、暑い最中出かけてきました。

まずは、昨日もいった巨大ショッピングモールに行き暫く散策してみましたが、ブランド品に興味はなく、服飾品にも興味がないので、今ひとつ買いたいものがありません。かといって手ぶらでは帰れない。あっ、そうだ、おとといの午前4時にコーラとアイスを買いに行ったファーマシーに何かあるんじゃないかと思いつき、行ってみました。ファーマシーとはいっても店の路線としては、日本で言えばサンドラッグの品揃えをもっと豊富にした感じのドラッグストア。いろいろありますがな。

会社にお土産として持っていくチョコレートは普段は空港でお高めのものを買っていますが、この店にも箱入りのチョコレートがあったので、これでいいやと調達。家族用ビーフジャーキーは、テキサスに来たときはいつも買う3ドルのやつがなくて、お値段は倍の6ドル。この暑い最中、3ドルのやつを探しに行くのは面倒なので、諦めて購入。子供たちにはテキサス印のキーホルダーを購入。この際ついでだと、今夜の晩酌のお酒、つまみ、夕食も購入。そんなこんなをしていたら、合計金額が80ドルになりました。アメリカ人は何でも大量買いというイメージがありますが、ファーマシーでこんなに沢山買う人はそういないんでしょう。レジで店員さんに「こんなに沢山買ってくれてありがとうございます」的なことを言われました。

空港でお土産を買うと買った品物は機内持ち込みの手荷物になってしまいますが、今回街中で調達したお土産はき内預けのスーツケースに入れてしまうので、帰りの荷物が少なくて楽だぁ~。

しかしひとつ残念なことが。スーパーやドラックストアで売ってるビールって、大体6本パックなんですよね。今夜一晩で6本も飲めるはずはなく、泣く泣くワインのミニボトルを買いました。夜の会食ではワインを飲むことが多いので、一人で気楽な最後の晩くらい、ぐびぐびっとビールを飲みたかったなぁ。

2011/05/25

ヘンな日本語

5ヵ月ぶりにテキサスに出張に来ています。


いつもは郊外の退屈だけど安全なエリアに宿泊するのですが、今回はいつものホテルが取れず、ちょっと賑やかなところに宿泊していますので、身の安全など、やや緊張感を持って日々過ごしています。通りの向こうには自称「アメリカで4番目に大きい」ショッピングモールがあります。買い物にはほとんど興味はありませんが、涼しく歩き回れるので、空き時間を潰すという点では便利です。いつものホテルだと、人気のない運河沿いを散歩するしかなかったからなぁ。

さて、今日の空き時間、件のショッピングモールに行ってきました。日本語がはやっている訳ではないのでしょうが、日本語の漢字が書かれたTシャツを着た人を見かけました。着ているご本人が言葉の意味を知っているのかどうなのか定かではありませんが、Tシャツの脇腹部分に縦書きで「生活」と書かれていました。はぁ? 何で生活なんて書いてあるの? と思いましたが、日本人だって意味不明な英語の書かれたTシャツを着て街中を歩いている訳ですから、お互い様か。。。

しかし、こちらは刺青をしてる人も多い。ショッピングモールからの帰り道、荷物を店に搬入している若者集団とすれ違いましたが、そのうちの一人が極めて面積の小さいタンクトップを着ていたため、両肩に入れた日本語の刺青が丸見え。なんて書いてあったかというと、左肩に「生命」、右肩に「死亡」。意味わかってんのかなぁ。そんな文字を一生肩に彫りこんだまま生きていけるのかなぁ。

2011/05/19

ツイッターには気をつけて

今朝もいつもの満員電車。

例によって、どんなに車内が混んでいても肘で隙間をつくって携帯にかじりついている奴がいる。

多くの人は、画面が他人の目に触れるのを多少は気にしながら携帯をいじっていますが、今朝のこいつは違った...。

今朝はいつもの混雑に輪をかけた混雑振りで本当にすごくて、乗客の密着度がすごく高い。こんな状況下、たいていの携帯野郎は、画面の防御ができなくなることと物理的に携帯を広げる場所がなくなることから、おとなしく携帯の使用を断念する。しかし、こいつは...画面が私の目の前に来ているのにも構わず、私が「お前あっち行けよ、画面が見えてるぞ」と言わんばかりに押しているのにも気づかず、私の目の前でツイッターの投稿を入力して送信っ!

こちらに見る気がなくても、投稿した文章、丸見えですよ。丸見えっていうか、強制的に見せられているって感じ。

変な文章なんだよ、これが。私の生活圏の地平線の向こうにあるような言葉が並んでいて、脳味噌にくっきりと刻まれるような文章なんだな。興味湧くよね~。後でググってみました。

ぷぷぷーって感じ。

ああいう外見の人が、こんなアイコン使って、こんなプロフィールとこんなツイートを書いているのかと...。

リアル世界では言えないことを、仮想キャラを使って発言することで、精神的バランスを保っているんだろうなぁ。もうだめだ、あの人の外見とツイートを思い浮かべるたびに、笑いをこらえるのが大変だ。

人に迷惑かけなけりゃ何したっていいよ。でもね、意外性のありすぎる仮想生活が暴かれて信用を失うことのないように、気をつけた方がいいと思うよ。

混みあった電車で人をかき分けてスペースを作り人の目の前でそんなおもしろすぎるツイートなんかしていないで、電車が駅についてからホームで人目を忍んでゆっくりやればいいじゃん。

だから俺は前から満員電車の中で携帯とかゲームをするのをやめろって言ってんだよ。俺は自分が読んでる本のタイトルを見られるのも恥ずかしいくらいだから、現実とのギャップのありすぎる仮想キャラツイートを人の目の前でやる輩の気持ちはわからん。

でも、マインドセットを仮想キャラに切り替えた時はますますリアル世界が見えなくなって、こんでようが何だろうが今すぐツイートしたくなっちゃうのかな。

2011/05/17

女性検診中

昼休み、通りを歩いていたら、路肩に駐車した検診者に「女性検診中」という札が下がっていました。

検診車は出入り口、窓など、下界と繋がっているところは全て厚いカーテンで遮断されているので、そんな心配は要らないのでしょうが、検診車との距離を充分にとり、首を真っすぐ前に固定したまま、静かに通り過ぎました。あんな札がかかってたら、小市民は緊張しますわな。

しかし、わざわざ「女性検診中」なんて知らしめる必要があるのかしら。却って不心得者の関心を引くなんてことはないのかな。私が女性だったら、そんなものを張り出して「あぁ、女性がこの中で検診を受けているのか」などと世間の注目を集めることなく、誰にも気づかれないうちにささっとやっちまって欲しいと思うだろうなぁと思いますが、女性になることはできないのでわかりません。

検診車内部の様子の情報を開示するこの札には、「みんな、今この中で女性が検診を受けているってわかってるよね。覗いたりしたら大変なことになるよ。『じょっ女性がいるなんて知らなかったんだよ』なんて言い訳は通用しないからね。即逮捕ね。」という見えない文字が書かれているようでどうも気持ちが悪い。「情報開示」せずに覗き事件が起こった場合の管理者責任を回避するため、「情報開示」することにより情報受領者の責任に転嫁しているんだろうなぁ...

なんて書いているうちに、単に、「女性の検診中に男性の受検車が間違って入ってくることを防ぐ」ことが目的なのかなと思い至りました。きっとそうなんだろうな。

ところで、情報開示といえば、先の原発事故では政府や東電が情報開示が足りないと世間様からお叱りを受けていましたなぁ。昔なら、「みなさんは説明内容を理解するだけの専門知識をお持ちではないし、説明内容が誤って伝わって要らぬ不安やパニックを招いてはいけないので、全てこちらで適切に処理しますのでご安心ください」という対応が結構通っていたし、お上に従うことに慣れている日本人も「よくわからねぇけど、とにかくうまくやってくれよな」と対処していた気がします。最近は海の向こうからアカウンタビリティという概念が入ってきたので、猫も杓子も情報開示の連呼です。

まぁ、事が公共の健康と安全に関ることなので、情報開示を求めることは当然だと思いますし、私も反対ではありません。しかし、私が違和感を抱くのは、情報開示を受けた側のその後の対応。相手が誤魔化していた場合、相手の不適切な対応を責めることは当然だと思いますが、相手が知り得る限りの情報を真摯に開示した場合、情報を開示された側にも情報を受け取った責任が生じると思うんですよね。例えば、原発事故後の各地の客観的な放射線量が開示された場合、その値をどう考え、どう行動するかは情報開示を受けた側の責任だと思う訳です。政府の方針に従うも、遠くへ非難するも、どちらにするかという判断は自己責任。

情報開示しろ、情報開示しろ、と散々騒いだ上で、情報開示を受けたら受けたで、俺たちはどうしたらいいのか教えろ、政府は何をやってるんだ、東電はちゃんとやってるのか、と文句を繰り返すようでは、情報開示する側は情報開示するメリットを受けられない(情報開示することによりますます叩かれるだけ)ので、積極的に情報開示をする姿勢にはならないよね。

他人に情報を要求する以上、受け取った情報を使って自分で考える努力もしましょう。

2011/05/03

フリーラン+2をおろしたら死体が...

3,000km走破も達成したことだし、ここでもう一発気合を入れようと、この間の日曜日、新しいランニングシューズを買ってきました。

普通のランニングシューズとは違って、裸足で走る感覚に近づけたというナイキ・フリーラン+2。以前読んだBorn to Runという本に出てくるカバーヨ・ブランコの走りに完全に感化されてます(爆)。裸足に近いというだけあって、ソールにはたくさんの深い溝が切ってあり、足の動きに合わせてぐにゃぐにゃに曲がります。アッパーも柔らかくて、靴に足を保護してもらっている感覚は殆どありません。それに軽い。

で、普通のランニングシューズからこいつに切り替えると、腰や脛に来ると聞いていたので、今日のところは慎重に10kmだけ走ってきました。

走った感想は、「足の裏が痛い」。私の走りが悪いのか、足の裏の真ん中あたりの外側っていうか、土踏まずの外側っていうのかしら、その辺りが痛いっす。店の人も、このシューズは足の裏で地面を掴んで走る感覚、足の裏が鍛えられるって行ってたけど、正にそんな感じ。

これまで履いていたナイキズームもその前のシューズに較べたら軽量でソールが薄いのですが、思えばこいつに変えたときも足の裏が痛かったっけ。それが今や何の苦もなく走れるようになりました。この新しいシューズにもそのうち慣れるでしょう。こうやって身体は鍛えられていくんだなぁ。

と、考えながらの帰り道。水かさが減って露出した河床に不審なものが。不審物の近くには警察官が一人。土手には犬を連れた人とその人に話を聞いている警察官。

男性の死体だ(驚)...

近くに行ってみたところ、下半身が裸の男性の死体らしい。河川敷に降りるスロープには脱ぎ捨てられたように見える衣服がありました。とりあえずは、通報を受けた交番のおまわりさんがスクーターで乗り付けたところらしく、死体は丸見え状態(怖)。

家に帰ってシャワーを浴びて飯食って、再度現場を偵察に行ってみたら、既に警戒線が張られ、鑑識の人らしき人が調査をしてました。

私はナイキ フリーラン+2をおろした日を一生忘れないでしょう、いや忘れられないでしょう。

2011/04/30

100km達成

今朝、面倒だなと思いながらも13kmを走り、今月の走行距離は109kmとなりました。

今年に入り、1月、2月に続き3回目の100km/月超え。

がんぱってるなぁ、俺。

1-4月の走行距離が390.2kmになったので、この調子で行けば今年の走行距離は1,170km!

って調子よくはいかないだろうなぁ。

夏場は暑さで走行距離が減るし、出張が入ったり、気力が萎えたり、様々な困難が待ち構えています。

でも、1,000kmくらいは頑張って走り、リヤドに一歩でも近づきたいと思います(爆)。

2011/04/29

3,000km達成

ランニングの記録をつけ始めて早3年と2ヵ月、累計走行距離が3,000kmになりました!!!

この距離がどのくらいのものか。グーグルマップで測ってみました。

しかし...もはや日本列島を使って測れる距離ではないっ!

パリの凱旋門を出発してサウジアラビア方面に向かっていくとすると(何故サウジアラビア?)...

西に向かってランスを通過、ザールブリュッケンでドイツに入り、フランケンタール、ニュルンベルグを通過、その後南下しズーベンでオーストリアに入国、東に向かいウィーンを通過、ニッケルスドルフでハンガリーに入り、首都のブタペスト辺りから南東方面に向かいセルビア入国、ベオグラードを通過しディミトロブグラードというところでブルガリアへ、首都のソフィアを通過し、さらにはトルコへ、イスタンブールを通過して東のボルというところに着いたあたりでだいたい3,000km。

残念ながら、グーグルマップで測れるのはシリア国境まで。ボルというところからサウジアラビアの首都リヤドまであとどのくらいあるのかはわかりません(爆)

因みに上のルートは、グーグルマップで車で移動することを前提に検索したルート。パリからボルまで徒歩での移動で検索するとどうなるか。

パリから南下し、マルセイユから船に乗る。サルディーニャ島を経由してイタリアのナポリに上陸。東海岸のバーリというところまで歩き、そこからまた船に乗る。ギリシャのアテネを経由してエーゲ海クルーズ。ギリシャのアレクサンドルーボリというところに上陸し、トルコ国境を越え、イスタンブールを経由してボリへというルートになります。4,426km、20日と7時間の旅だそうです。

よく走ったなぁ、ははは...

2011/04/17

Brainwash

昨日、長男が通っている高校の保護者会があり、嫁が出席しました。


長男は今年から高校3年生ですので、保護者にとっても学校にとっても受験対応というのが大きな関心事であり課題です。よって、昨日の保護者会では学校側から受験に向けた取り組みの説明のほか、この春の受験で見事難関校への合格を果たされた立派な生徒さんの保護者から、体験談をご披露していただけたとのこと。

嫁にとっては、学校からの説明よりも、勝ち組保護者からの体験談が強烈に印象に残ったようでした。嫁に聞いた話の内容は、学校で教える以上の高度な知識を身につけたいのであれば別として、学校の授業に集中し、夏休みは学校の補習でがっちり勉強すれば、ちゃんと力はつく!ということのようです。

この話を聞いてきた嫁、家に帰るなり長男に向かってマシンガンのように話始めました。

曰く、おかあさんは間違っていた、子どもの自主性に任せてやらせるのがいいらしい、これまで予備校に行けばとしつこく言って悪かった...云々。

これを聞いた長男曰く、「今日部活で話してたんだよ。絶対親が今日の保護者会で洗脳されて、予備校に行かなくていいとか言い出すに違いないって。」(爆笑)

まぁ、みんなにとってハッピーな結果となったわけですが、身内が同じことを言っても聞く耳もたず、外の人に言われると素直に洗脳されるってはの、どういうわけなんだろう。

2011/04/04

予定調和

みなさんは、週末の昼食をマクドナルドのハンバーガーで済ませるなんていう手抜きはしませんか。うちは、次男が無類のマクド好きなため、週末の昼食がマクドになることが時々あります。ただ、子どもたちも微妙なお年頃、店に出向いて食べるのは嫌がるので、駅前の店で買ったものを持ち帰り、家で食べるということになります。食卓にマクドのハンバーガーやポテトが並んでいるというのは、子どもたちには違和感がないのかも知れませんが、おっさんの目にはやや罪悪感を伴う光景と映ります。

さて、先日も諸般の事情で昼食をマクドで買ってくることになりました。みんなの注文を聞き、クーポン券をたんまり持って、私が買いに行きました。いくら田舎の駅前の店舗であっても、昼飯時となればそれなりに客も入り、お店の人も忙しそう。そんな状況であっても、お店のおねえさんは注文の品を手際良く紙袋に詰めて、ささっと渡してくれました。

さて、家に帰って食べようとすると、ない...。長男はこの時レモンティを注文していたのですが、ティーバッグが入ってないっ! をいをい、お湯だけで飲めっていうのかい? まぁ、ティーバッグくらいは家にもあるからいいんだけど、今後のこともあるから、一応苦情を言っておいた方がいいよねと、嫁が電話をすることになりました。

余談ですが、私は、とあるラーメン屋チェーンのとある店の店員さんたちの態度があまりになってない(多くの客が店の入り口で待っているのに、客を捌かないどころか客と目を合わせようともしない)ので、テーブルに備え付けの本社行きのアンケートはがきに苦情をしたためて送ったところ、次回はスタッフを全員入れ替えたのかと思うほど、店員さんの接客が劇的に向上していたという経験を持っています。よって、その店の繁栄のためにも、正当な苦情は言った方がいいと私は思っています。

電話をするにあたり、これまでの経験から、マクド側は足りない商品を家まで届けると言うだろうから、そこまでは要求せず、次回から気をつけてくださいと釘をさして決着というシナリオを描いておりました。

「もしもし、さっきテイクアウトで○○セットのレモンティーをお願いしたんですけど、ティーバックが入ってなかったんです。お湯しか入ってませんでしたよ。」

・・・・

「いいえ、結構ですっ!(怒)、こういうことが二度と起きないようにジューブン気をつけてくださいっ!(怒怒)」(ガチャッ)

なんだか、嫁が電話で異常に怒ってる。どうしたのかと聞いてみると。

「よろしかったらお届けしますって言うのよ。よろしかったらじゃないでしょう。最初からこっちが届けなくていいって言うことを見越して言ってるのよね。あぁ、頭にくる。」

それはさすがにひどいと私も思う。欠品を自宅まで届けてもらうなどという面倒くさいことを好まない客が多いことはわかる。しかも今回は「たった100円」のレモンティーだしね。でも、感情を持った人間を相手に商売をしている以上、自分の非を心から詫び、誠心誠意という姿勢が見えないと、誰もが「こんな店、二度と行くかっ!」って思うよね。店長さんに悪気はないんだろうし、逆に「届けられるのも迷惑」というこちらの心情を推し量ってくれたのかも知れないけど、気の回し過ぎ。予定調和かと白けてしまった。店長さんは「管理職」じゃないから、店長さんに言ってみても握り潰すだけで、改善はされないのかな?

ところで、マクドのテイクアウトって、注文した商品が全部入っているのかと不安になりませんか。注文をした商品は複数のおねえさんが分業で準備するし、ハンバーガー類はカウンターの奥で袋詰めされることも多いので、おねえさんたちの仕事に目が届かず、私はいつも不安です。実際に、これまで数回、欠品を経験したことがあるしね。

そこで提案。テイクアウトの注文も一度カウンターの上のトレイに全部置いて、全てが揃っていることを客に確認してから袋詰めしたらどうだろう。そうすれば、店側も欠品のお届けなんていう余計なコストが省けるし、店と客の信頼関係も維持できると思うよ。

2011/04/02

自治について考える(東国原かっ!)

なかなか治まりませんなぁ、原発。最近は数値を使って具体的な情報が報道されるようになり、自分の感覚で危険度を判断できるようになってきたので、大分落ち着いていますが、一時はビビリまくっていました。

電力需要が増えていく中で、環境(この場合温室効果ガスね)にも配慮した問題解決が求められる中、ある程度原子力に頼らざるを得ないことは理解できる。しかし、本来は一企業で背負いきれないリスクを学者先生とお役人様で過小評価し、電力会社が背負った格好にして原子力発電をするのなんて間違ってる。世界有数の石油・ガス生産国でありながら、石油・ガスは輸出に回し、国内電力のほぼ100%を水力発電で賄っているというノルウェー人のような自制の効いたシンプルな暮らしがしたいと思う今日この頃。

思い余って、「原子力危機に直面した今、ノルウェー人のような生活を送りたい」とツイートしたら、イギリス人に「ノルウェーの人口は僅か400万人、そのライフスタイルを人口1億2000万人の日本に持ち込むのは無理があるだろっ」とすごくまともな反撃を食らって、ちょっとめげました(笑)。

しかし、タダではへこまない。ノルウェーって400万人しかいないのか、そうか、理にかなった生活を送る上で人口というのも重要なファクターなんだな。だったら、日本も人口400万人にしちまえばいいじゃないか。1億2600万人大虐殺? いやいやそんな野蛮な話ではありません。

日本の国土は狭いとは言いながら、それなりの広がりをもった国土。広ければ経済や人口に粗密ができ、その結果、都市部と過疎部ができてる訳だ。この粗密が国家の運営にどのように生かされているかというと、富と人が集まる都市部には危険なものは配置せず、富と人がまばらな過疎部に原発などの危険なものを配置する。つまり、都市部で必要とするものの生産に伴うリスクを過疎部に移転してる訳だ。あの周辺の人たちは自分たちには必要のない電気を発電する設備の事故で被害にあっている訳で、これはどう考えても不条理だ。

なぜこんなことができるか。国土にそれなりの広がりがあって、富とリスクの集中をある程度意図的に作り出せるからだ。 これを防ぐには、国土を狭くしちまえばいいじゃないですか。つまり、各県を独立国にする。そうすれば、国民数も減って、細かいことまで目が届くようになるぞ。

これをするとどんないいことがあるか。例えば、東京電力が福島に原発を作るとする。これは海外投資になる訳で、原発の建設・操業・安全管理は、「福島国」の法律に従うこととなる。また、「福島国」で作った電気を「東京国」に移動させるのは輸出入ですよ。「福島国」はその気になれば電気に輸出関税をかけることもできる。また、東京電力福島国支店から東京電力東京国支店への電気の売買に関して利益の不当な海外移転を監視し東京電力福島国支店に合理的な利益を生じさせ、福島国は東京電力福島国支店から法人税をがっぽりいただく。こいつを原発の安全対策に使ってもいいし、原発に安全対策のための特別税をかけたっていい。ここまでやられたら、東京電力は電力の輸出入はやめて、消費地ごとに小規模な発電所を作るんじゃないだろうか。つまり、東京国で使う電気は東京国で発電するってことだ。

これをやると、もちろん、国ごとに経済規模の濃淡は出る。大量消費を続ける国もでるだろうし、自給自足に近い生活となる国も出るだろう。もともと一つの国だったということを考えると、「不公平だー」と不満を言う国民も出るかも知れない。そこで、居住地の移転のみ自由にする。北海道国の暮らしがいやな人は、最低限の条件さえ満たしていれば、自由に東京国人になれる。人のライフスタイルに対するニーズが多様化している現在、外資系企業でバリバリ働いて金持ちになりたいって人もいれば、衣食住にさえ困らなければ自然に囲まれて暮らしたいって人もいる。但し、フリーライダーが横行するのは防がなければならない。その対策は今は思い浮かばないけど。

この仕組みのいいところは、みんなが「おらが村」(国土が狭いので国に対してこんな感覚を持つのではないだろうか)のあり方を真剣に考えるようになるってことですよ。どこまで発展することを目指すのか、発展のためにはどのくらいのリスクまで許容するのか。富とエネルギーを集約して大量消費生活を続けるために国内に大規模原発を建設するもよし、安全性を優先してエネルギー消費抑制型の生活に切り替えるもよし、全てはそこに暮らす国民の考え方次第。

ただ、分国によって、無駄に大量の政治家やお役人様が生み出されないようにしないといけないね、日本は焼け太りが多いから。

反国際化という自分の考え方に沿ったなかなかいい案(自画自賛)だと思うんだけど、私は生まれてからずっと東京近郊に住んでいるので、地方に暮らす人の視点が抜けていると思う。みんながこの案をどう評価するのか意見を聞いてみたい気がする。

語り口がふざけているので冗談と思うかも知れませんが、結構真剣に考えました。

2011/03/26

気の利く店員さん

今朝、iPod touchのOSのアップデートをしていたら、突如、「ガリガリ」という得体の知れない音がしたかと思ったら、PCのモニターが真っ暗に。どうやら、死んでしまったようです。えぇ~、OSをアップデートしている最中に? よりによって今?

どうしたものかと思案の挙句、OSのアップデートを終わると目される時間にPCの電源を切るという賭けに出た。まさかPCを動かしたままモニター交換をするわけにもいかんし。

ということで、頭をモニター調達に切り替え。モニターを買うくらいのお金は何とかなりますが、問題は今まで使っていたモニターの処分。もう15年くらい使っているブラウン管の重たいモニター。廃品回収業者にお金を払って持って行ってもらうのもばかばかしい。そこで、困った時のPC DEPOT(パソコン屋ね)に電話をしてみました。

「お忙しいところすみません。PCのモニターの買い替えを検討しているんですが、古いモニターをそちらで処分していただくことはできますか?」

「はい、大丈夫ですよ。品物をお持ちいただければ査定します。」

「いや~、壊れてしまっているやつなんですよね~」

「それでしたら、ジャンク品ということで100円で引き取らせていただきます。基本的には、処分にお金はかからないと考えていただいて結構です。」

おー、助かった~。絶対PC DEPOTで後継モニターを買うぜっ!と思った矢先、

「お客さん、最近はワイド型のモニターが主流になっているんですよ。最近買われたPCなら問題ないんですが、5、6年前のPCですとワイド型に対応していないことがあるんです。お客さんのPCのメーカーはどちらですか?」

「ショップブランドのやつなんです。」

「そうですか。ではビデオボードのチップが何かわかりますか?」

「仕様書を見てみないとわからないですね。」

「そうですか。ご来店の時にビデオボードのチップを調べてきていただければ、ワイド型に対応しているかどうかこちらで調べられます。では、ご来店をお待ちしています。」

そーだったのか。ビデオボードのチップを調べるなんてちっとも頭に浮かばなかったよ。なんて親切で気の利く店員さんなんだろう。プロだからと言ってしまえばそれまでだけど、世の中のみんながこれくらい相手の身になって物事に対処してくれたら、もっとハッピーになれるのに。

そんな訳で、我が家で始めての液晶モニター(?!)をお安く購入させていただきました。その後、レシートと壊れたモニターを買い取りコーナーに持っていくと、

「このタイプですと結構古い感じですよね。ブラウン管のモニターは液晶ほどもたないんですが、充分に使われましたね。」

「今朝、ガリガリっていって壊れちゃったんですよ。」

「そうですか。全うしたということですね。」

とお褒めに預かり、100円もらって帰りました。

古いモニターの処分に頭を悩ませる必要がなくなった嫁も上機嫌。火事場泥棒ではありませんが、嫁の機嫌もいいことだしと、このどさくさに紛れて17インチブラウン管モニターから21.5インチ液晶モニターにステップアーップ! 会社のPCは相当前から液晶モニターなので、別に目新しいということはありませんが、おニュー(死語!)というのはいい気分。

ところで、作業が中途半端に終わったiPod touchのOSアップデートは、無事に完了していました。めでたし、めでたし。

2011/03/23

動機の形成

今回の地震の影響で、私の住んでいる地域では計画停電が行われていますが、通電している時間帯でも、当然のこととして、節電に心がけています。そうやって電力需要を減らすことで計画停電が見送りされるのだから、正に自助努力ってやつです。

駅、商店、オフィスビルなどでも照明を落としていて、昼間からたそがれています。。地元駅前のパチンコ屋や商店街も看板の照明を落としているので、帰宅時には夜らしい夜が味わえる。これってなかなかいい感じじゃん。

こうやって節電運動をしてみると、我々はいかにいらない電気を使っていたかということがよくわかりますなぁ。これを気に夜明けとともに起きて働き、日暮れとともに寝るという原始的な生活に戻るのもいいかも。

ところで、折角いらない電気がたくさん使われていたということをみんなが認識できたいい機会、電力危機が去った後も計画停電を続けたらどうだろうか。飽食に慣れ切った現代人に活を入れ、常に身近にある危機を忘れないでいるためにはいいと思うんだけど。

しかし、人間てしっかりした目的と理由があれば、多少電気やガソリンがなくても、不満を言わずに生きていけるんだね。

今回のことは、今後省エネルギーや環境保全を進めていく上で大いに参考になるんじゃないかしら。動機の形成が重要。

2011/03/15

ハンズフリー

今日もお昼はいつものラーメン屋。カウンターに座りました。

隣は既にラーメンを食べている知らないお客さんなんですが、食べ方が豪快。この人、箸でラーメンを適量つかみ、その一端を口に入れた後は、ハンズフリー状態になり、どんぶりの縁から数ミリのところまで寄せた口でひたすらすする。それも、口に入れたラーメンの端が口の中に収まるまで、休みなく一気にすすりまくる。

いやぁすごいですよ、爆音とその持続時間。はっきり言って不快。音もなくラーメンを食べるというのも気持ち悪いけど、あの音はありえない。しかも、いい大人がハンズフリー状態で口元をどんぶりに寄せてすすりまくるとは。一昔前によく言われた「犬食い」ってやつだね、あれは。

君は一体、どこでそんな食べ方を教わったんだ?

家族にから「そんな食べ方はおかしいからやめなさい」と注意されなかったんだろうな。人間って、物を食べる行為って無意識のうちにやってるから、気付かないんだよね。そういう意味では、子どものうちに家庭できちんと躾けるというのは大事だな。大人になっちゃうとだれも注意してくれないしね。

ハンズフリーラーメンズルズル男に驚いた...というか不快になったという話でした。

2011/03/13

信用できん!

確たる理由はないんだけど、管さんの顔見るだけで腹立つわぁ~。

昨日の会見、なんだったんだろう。視察に出かける前の会見も何が言いたいのかさっぱりわからんかったけど、夜の会見も同様だった。感想じゃなくて、冷静な現状分析と今後の対策を言ってくれよ。自衛隊の増員も防衛大臣に「お願い」するんじゃなくて、「指示」しろよ。あんたが政府の責任者なんだからさ。うまくいかなかった時に「防衛大臣にお願いしたんですけどダメでした」って言い訳すること考えてんのか?

すごく危機感を持ったのは、原発のことだけど、昨日の夕方の会見、何で官房長官が数字持ってるのに、原子力安全保安院が数字持ってないんだ? 保安院が収集した情報が政府上層部に上がって、それを官房長官が発表するんじゃないのか? まぁ、出来る子が揃ってる民主党政権のことだから、保安院なんかすっ飛ばして自ら情報収集に乗り出しているのかも知れないが、統制のとれた管理という意味では、それはとても危険なことだと思う。「官房長官しか事実を知らない」なんてことが起こり得るよ。

しかし昨日の夕方の保安院の会見、中身のない会見だったなぁ。中身のないことを多くの言葉を連ねて中身があるように見せかけるという、政治家・官僚答弁の見本のような会見だった。記者もひどかった。「原発からどのくらい離れたら安全なのか」って質問ならともかく、「どうやって避難したらいいのか」なんてお門違いのことを聞く記者相手の会見だから、会見内容もあの程度ってことかも知れないけどね。確かK通信の記者だったな。

東京電力も、今朝の2時に問題が起こって県への通報は5時って遅すぎない? 2時の時点では報告義務のある数値に達していないからってことなんだろうけど、1号機が既に危険な状態に陥っていて、3号機が同じ道を辿り得ることは想像できることなんだから、たとえ報告義務はなくても、安全性の確保ということを考えたら、人としてすぐに情報開示すべきなんじゃないのか。県だって、早く報告してくれれば善後策を検討する時間が稼げるだろうに。

電力会社ってのは昔からお役所みたいな会社ってイメージを持っていたけど、やっぱりそのとおりで全く信用できないな。向こうにしてみたら、「中途半端な情報を発表するといたずらに国民を混乱させる」なんてことを言うんだろうけど、国民は専門家じゃないけどバカじゃない。それぞれで、今後起こりうる事態を想像して、個人なりの対処をするだろう。ありのままの情報を速やかに開示して欲しい! それに、政府の会見にどうして東京電力が同席しないんだ? これだけの巨大地震による事故だから、個人的に今回の事故で東京電力を責めるつもりは全くないけど、現場を一番良く知っていて専門の技術者を抱えているんだから、会見に同席してわかりやすく正確に状況説明をして欲しい。保安院の説明じゃ全くわからない。

でも、枝野さんの説明は、正確性はともかくとして、わかりやすいね。枝野さん個人はすごく優秀な人なんだろうなと思う。残念なのは、従業員としては優秀なんだが経営者的センスが見えないところだ。

2011/03/11

無免許運転

救急車を無免許で運転してタイホーッ!てな記事がありましたなぁ。

この手の記事を見るといつも考えてしまうんですよねぇ。

というのは、高度な専門知識と特殊な技能が求められ一般人には到底為し得るとは思えないようなこと(例えば医療行為とか)を無免許でしていたと聞けばさすがの私も「ええかげんにせーよ」という感じですが、自動車の運転ねぇ。

かつては自動車を運転するということも特殊な技能であったのかも知れませんが、今となっては生活をしていく上で必要な技能となり、誰もが行っていること。立法府や行政府もそれを認めていて、その証拠に、運転免許証というのはよほどのことがない限り、(教習所に通うお金を出しさえすれば)誰でも取得できるし、事実上無制限で更新もできるようになっとります。

余計なことではありますが、最近ではオートマ車の普及により自動車運転者への参入障壁がほとんどなくなり(運転が簡単になったてことね)、車の運転なんかしない方がいいって人まで車に乗るので、運転マナーがなってないし道路上が危なくてしょうがない。更新毎に学科試験と実技試験を課すなど、免許保有者の質の向上を図って欲しいね。しかし、話を進める都合上、現在の状況を受け入れることにします。

それはさておき、この救急車のおっさんは免許をとったことがないのではなく、免許を失効したということなので、技術の観点からは運転することに問題はないと思われる(実際、毎日運転していた訳だしね)。そうすると、このおっさんと他の運転手を隔てる違いは、免許の更新をきちんとしていたかどうかという1点のみですね。

なんかこれってさぁ、免許更新料を稼ぐとか、交通安全協会費を稼ぐとか、協会のおっさんの仕事を作るとか、そういったことのために現在のシステムができているように思えて仕方がない。車の運転を簡単にし(今やアクセル踏まなくても走るし、ブレーキ踏まなくても止まる!)、免許の取得を容易にし、ここまで市場が拡大したんだから、今や自動車なんて自転車と一緒でしょ。免許制度なんて必要なのかなぁ(上でも書いたほうに、本心としては免許制度を厳しくして免許保有者の質の向上を図ってほしいというのが本心です)。

なんだかこのおっさんは、警察を中心とする運命共同体が作りだしたシステムの犠牲者のような気がしてならない。

2011/03/09

老化現象

歳をとったせいか、つまらないことが気になって仕方ありません。

今、気になってるのは、前から書いていますが、「電車ゲーム携帯男」。

今日もいたんですよぉ、戸口にどっかりと根が生えたように立ち尽くし、少年ジャンプサイズの漫画本を読み漁り、乗り降りする人がいてもお構いなし、目を上げて回りの状況を把握しようとすらしないおっさんが。なぜか、この人も腹が見事にせり出していて、異様に膨らんだトートバックを肩から担いでる。

私に実害はないものの、何故かイライラ。

途中、漫画本をしまったので、「あぁ、やっとイライラから解放される」と思ったのもつかの間、今度はPSPの登場だぁ。アクション系ゲームでもやられてるんですかねぇ、ボタンを操作するたびに大きな身体がゆさゆさと...。

もういいよ、漫画読んでもゲームやっても。

でも、せめて、電車が駅に止まったら、漫画やゲームから目を離して回りを見渡し、他の乗客の乗降に支障がないように気を配ってくれぇぇぇ。

2011/02/27

ながら族

我々が若い頃、我々世代を称して「ながら族」という言葉がありましたなぁ。

典型的なパターンは、夜、ラジオの深夜放送を聴きながら勉強するってやつね。ラジオや音楽なんか聴きながら勉強なんかして、頭に入るのかっ!なんてよく言われたものです。しかし今では、子どもに居間で勉強させるのは良いといいます。集中していればテレビの音など気にならないし、家族が話していることなどから副次的な知恵が身につくということらしいです。時代が変わると価値観も変わるものですなぁ。「ながら族」という批判的な言葉が真に意味するところは、「ひとつのことに集中して真剣に取り組め」ということなんでしょう。

という訳で今朝のこと。いつものように早朝ランニングをしていたわけですが、コースの途中に有志の皆さんが集まってラジオ体操をしている場所があります。川向こうにある市民会館の庭でラジオを掛けているのですが、ラジオの音声が広範囲に届くので、対岸にある高台の遊歩道の路肩に一列に並んで体操している人も多く、半径100mくらいの壮大な「ラジオ体操劇場」となります。私は、市民会館に向かって遊歩道の路肩に横一列に並んだ皆さんの横を走り抜けていくわけです。

そんな中、ラジオ体操の列に加わろうと遊歩道を斜めに横切っていくおじさん一人。しかも、体操しながらのんびりと横切っています。邪魔だなと思いながらも皆さんの遊歩道、おじさんが横切るタイミングを図りつつ横をすり抜けようとしたその時、おじさんがラジオに合わせて腕を大きく横に広げたんです(驚)。私、止まる間もなくおじさんの腕を胸で受けてしまいました。みんなで譲り合って楽しく使うべき遊歩道、歩きながら体操をするのも結構ですが、周囲に危険がないこと、他人に迷惑が及ばないことを確認したうえでやって欲しいものです。

さらに「ながら族」と言えば、これまでにも何度も書いているかもしれませんが、携帯電話の画面を見ながら歩くのは本当にやめて欲しい。時間に追われる通勤時、駅のホームや階段で携帯電話の画面をみながらタラタラ歩いているやつを見ると本当にイラッとします。抜かしてやろうにも、気もそぞろに歩いている人は歩くベクトルが定まっていないことが多く、先の行動が読みにくいので、一歩間違えば事故になりかねない駅のホームでは抜かすこともままなりません。本人は歩くのと携帯のチェックを同時にして時間を節約しているつもりかも知れませんが、歩く人の流れを乱すことで他人に無駄な時間と気を遣わせているってことに気付いて欲しいなぁ。それに危険なので、携帯のチェックは人の邪魔にならない安全な場所に静止した上で行いましょう。

もっとイラっとくるのは、電車の乗降時に携帯の画面を見てるやつ。朝晩の電車はとても混んでいるので、回りの人の動きを見てさっさと行動しないと乗れません。それにスムーズに乗り降りしないと電車も遅れちゃうしね。私なんかは降りる人の流れを目で追いつつ、流れが途切れたらさっさと乗り込みます(私だけではなく通勤者はみんなそうだと思うけど)。でもいるんだよ、携帯に夢中で降りる人の流れが終わったことに気付かず、いつまでも乗ろうとしない奴が。「こいつは乗る気ないのか」と脇から抜かして乗り込もうとすると、そういう動きはなぜかちゃんと察知して、急に権利意識が芽生えて「追い越し許さず」とばかりに慌てて乗るんだよね。だったら、最初からスムーズに乗れるように努力しろよ!

降りる人の流れを見ている人が、流れが止まったにもかかわらず乗り込まない場合、こちらも「何か理由があるのだろう」と考えます。暫く待っていると、電車の奥の方にいた人が入り口付近にいる人を掻き分けて降りてきたりする訳ですよ。しかし、携帯を見てる奴が同じ行動しても、どうせ携帯に気をとられているんだろうとしか思えないよね。「ながら族」という言葉には、人の信頼が得られるような真摯な姿勢を周りに示せってことも含まれているんだろうな。

私が通勤に利用している路線は、緩行線(各駅停車が走る線路ね)に毎日必ず5分以上の遅れが出るんですが、各駅に待機している「ながら携帯野郎」の仕業が累積した結果じゃないかと思っています。

ついでにイラッとくるのは、携帯で電話をしながら無意味に歩き回る奴。目的をもって歩いている人の進路はある程度読めるのでぶつかることもないのですが、無目的に歩き回っている「ながら携帯野郎」の進路は全く読めないので、本当に邪魔だし危険。さらに、携帯で会話をしながらうろうろ動き回られるのは、うるさくて不愉快。昨日も本屋で立ち読みしていたら、いたんですよ、携帯で会話をしながら店内を徘徊してる奴が。私が雑誌を立ち読みしている横で電話をしている奴がいて、「うるさくてかなわんな。この棚は後で見ることにして、別の棚を先に見よう」と別の場所に移動すると、なぜかそいつも電話をしたままついて来る。さらに別の棚に移動して騒音から解放されましたが、店内の別の場所でまだ電話中の奴に再び遭遇。寒い最中、店の外に出て電話しろとまでは言わないけど、人の邪魔にならないように店の片隅で小声で電話したらどうなんだっ!

電話は耳を使うもので目は塞がってないから大丈夫って思ってるんだろうけど、甘いっ! 網膜に映像は映っていても、電話に夢中になってるから脳がその映像を処理できてないんだよっ!

怒り先行で話の筋が無茶苦茶になってきましたが、とにかくそういうことです。

2011/02/22

意地悪オヤジのボキャブラ

今日はちょっと機嫌が悪いので意地悪オヤジモードです。


エレベーター内での女性グループの会話。

A:「○○ちゃんが××らしいのよぉぉ」
B:「え〜、それは△△すればいいのにぃぃ」
A:「う〜ん、でもそれはヤらしくて...イヤらしくて...あれっ?」

「イヤみたい」と言えばいいのだよ。
もっと本を読んで語彙を増やそう。


ラーメン屋の行列に並んでいた男性二人の会話。

A:「子どもにメガネを壊されちゃいましてねー」
B:「私もなんですよ。コンタクトレンズだと実験の時辛いんですよ。実験室で寝たりするので...30分毎に起きたりするので...」

30分毎に起きることとコンタクトレンズの不都合との間には全く関連性がないよねー。
実験が大変だということを主張したい気持ちは分からなくはないが、効果的なプレゼンのためには主題をひとつに絞り、そこから脱線しないようにしよう。

2011/02/21

隔世の感

現在中学の卓球部に所属している次男が市内の卓球用品専門店から最新のカタログを入手してきました。

私もかつては中学の卓球部に所属していた身、懐かしいなぁとペラペラとカタログを見ていたら、やぱり卓球の世界でも用具のモデルチェンジってのはあるんですね、掲載されているのは私の知らないラケットやラバーばかり。

そんな中、私が中学生の時に使用していたパワードライブというラケットの後継機種を発見しました。その名もパワードライブ2。私がパワードライブを使っていた当時からは30年近く経っているので、そうとうモデルチェンジが進んでいるものと思っていましたが、以外なことにまだ2代目なのね。

パワードライブ2のスペックを読んでいると、ラケット作りの思想は当時と変わっていないようですが、値段を見てびっくり。なんと6,800円! 30年近く前の記憶なのであまり当てにはできませんが、当時私が使っていたパワードライブの値段は2,800円くらいだった気がします。それでも当時は高い部類に入るラケットで、カーボンラケットに次ぐくらいの価格だったと記憶しています。それがいまや6,800円て、2.4倍アップじゃないですか。

他にも、当時ラバーの最高峰であったタキネスも2,000円くらいだったと記憶しているのですが、現在最高峰とされるラバーの価格は6,000円! シェークハンドラケットの両面を張り替えたら12,000円だよorz

いやぁ、隔世の感ですなぁ。しかし、卓球ラケットとラバーも卵のような「価格の優等生」になって欲しいね。

卓球の練習相手が欲しい次男は、前から私にラケットを買わせて卓球を始めさせようと目論んでいるのですが、用具の価格をみてその気が一気に失せました。

2011/02/17

nanoの使い道

今週月曜日の夜に結局買ったのですよ、ブルートゥースのオーディオレシーバー。ヨドバシに行ったら狙っていたものの在庫がなくて、SONYのDCR-BT60という高級品に手を出してしまいました。

いや、いいですよこれ。ペアリングも簡単で、スマホ、iPod touchともすぐに繋がりました。おまけにちゃんと音も出るし(当たり前っ!)。それじゃ火曜日から使い始めてるのね...って訳でもなく、部屋の片隅で眠っております。その理由は...

私がいつも聴いているBBCニュースとWSJニュースがアップロードされるタイミングを推測してみるに、私が会社で仕事をしている時間に新たなプログラムがアップロードされることはないらしい。ってことは、終業後にダウンロードして帰宅時に電車で聴くべきプログラムはないってことですよねー。なーんだ、出勤前に家でダウンロードすればよいのか。それなら、スマホよりiPod touchでダウンロードする方が全然楽。スマホのバッテリーを減らさなくて済むし。

という訳で、せっかく入手したオーディオレシーバーを使う必要がありません(泣)。

しかし思えば、私がiPod touchを買う許可を嫁からもらうとき、「これがあればパソコン立ち上げなくてもポッドキャストがダウンロードできるから、いつも最新の英語ニュースが聴けて、英語の勉強に役立つんだよ~」と説得したような気がする(爆)。そうでありながら、今まではiPod nanoの方が軽くて身軽なため、ポッドキャストの聴取には相変わらずnanoを使っていました。そうだよ、今回ブルートゥース買って最新のポッドキャストを聴こうとしてたけど、iPod touch買った時にも同じこと考えてたんだよ。

使い道のない高価なオーディオレシーバーを買ってしまった是非はともかくとして、その後ろめたさを引き金にして、いままで実現できなかった「毎朝最新ポッドキャスト」計画がようやく実現にこぎつけたという副次的効果はありました。

しかし、後に残されたnano、nike+のレシーバー以外に何に使えばいいんだろう?

2011/02/14

公衆無線LAN その2

周辺環境が変わると心持ちも変わるものです。

つい最近安さに惹かれて契約したdocomoの公衆無線LAN、契約当初は「いったいどれだけ使うことやら」と自分でも疑問を持っていた訳ですが、繋がんなら「いろいろできんじゃん」と心持ちが変わり、この週末はスマートフォンの設定をバリバリ使用モードに調整しました。

これまで気付かなかったんですが、私のスマホにはKinoma Playというソフトがプレインストールされていて、こいつを使えばポッドキャストを直接ダウンロードができるんですね(驚)。

今までは、iPodをPCに繋いで更新する手間暇が面倒くさくて、ポッドキャストは週末にまとめてダウンロードした前週分をiPodに転送し、それを一週間かけて聞いていました。従って、BBCのニュースは1週間遅れだし、CNNのニュースは全部土曜日のプログラム。これは注意が必要ですよ。「えーっ、エジプトがそんな大変なことになってんの~」と思ってもそれは一週間前の話。人に話すと「はぁ、今頃何言ってんの?」ということになります。

ところがですよ、スマホでポッドキャストが直接ダウンロードできるとなれば、出勤前に家でBBCの最新ニュースをダウンロードして往路で聞き、会社の近くの無線LANスポットでダウンロードしたWSJの最新ニュースを復路に聞くという夢の最先端生活が手に入ります。

私のWindows mobile端末は、充電アダプターもヘッドフォンも何もかもたった一つしかないミニUSB端子につなぐ仕様になっており、ヘッドフォン用のミニジャックがありません。頻繁に激しくヘッドフォンの抜き差しを繰り返したら、唯一のミニUSB端子がいかれて充電ができなくなったりするんじゃないか。そんなわけで、現在、Bluetoothのオーディオレシーバーの購入を検討中です。

土曜日からウェブサイトを調べたり、近くの店に実地調査に出かけたりしていますが、やっぱりソニエリがいいのかなぁ(ヘッドフォン自体はいらんのだが)とほぼ心を固めた昨日の夕方、駅前の本屋に立ち読みに行くついでに、地元駅前のdocomo無線スポットで「spmodeのおまけの公衆無線LAN契約でもiPod touchを無線LANに繋ぐことができるのか」という実験をやってみました。その結果、あっさり繋がった...。

ということは、私がスマホでやろうとしているポッドキャスト直接ダウンロード計画は、ヘッドフォン用のミニジャックが装備されているiPod touchでやればいいのだから、Bluetoothオーディオレシーバーは不要ということに...。

いやいや、男が一度決めたこと、途中で投げ出す訳には...って、単に新しいおもちゃが欲しいだけじゃん(爆)。

2011/02/09

公衆無線LAN

半年くらい前にスマホに機種変更しました。積極的にスマホを買ったという訳ではなく、海外出張時の連絡手段確保のためにGSM対応の携帯電話が必要となったのですが、GSM対応の携帯電話の中で一番安いのがそのスマホだったというのが購入の理由です。そんなわけで、海外出張時以外は使用せず、日頃は機種変更前の携帯にSIMカードを入れて使っています。

だけど、「出張時にいざ使おうと思ったら使い方がわからなかった」ではシャレにならないので、土日はSIMカードを入れ替えてスマホを使うようにしてきました。普段は家でiPod touchをWIFIにつないで使っているので、スマホも使えば便利そうなのはわかる。しかしパケット代がねぇ。いくら上限額があるとはいっても、私にとっては結構な金額ですよ。「無駄遣いするな!」と日ごろから注意している子供に対して示しもつかないし。

2月からドコモがスマホ用の公衆無線LANコースを設定しました。なんと1ヵ月の使用料が315円。Mzoneの通常の使用料に比べたら1/5だぞ。1日当たり約10円だぞ。これがあれば私もスマホを使うかもしれない...。そう思ってこの間の土曜日に契約してきました。その後の使用状況如何に...?

契約した土曜日は、駅前のコーヒーショップ周辺(節約のため店内には入らず・泣)まで出向き、設定+接続実験に成功。月曜日は会社のビルの下にあるスタバ周辺(泣)にて、別のアクセスポイントでもちゃんと繋がることを確認。そうだ、東京メトロの駅でも繋がるはずだ!と通勤途上に接続を試みるも、ログイン手続きをしている間に電車が発車してしまい、実用に適さず。

そうなんだよ、OSがWindows Mobileのせいかも知れないけど、接続手続きの動きがもっさりしていて、時間がかかりすぎるんだよ。綱がった後でも接続スピードが異様に遅い気がするし。スタバでコーヒーを飲みながらならともかく、通りすがりのLAN利用は事実上無理だね、私の端末では。iPod touchだともっとサクサクと繋がるし、IPアドレスの設定などもアクセスポイント毎に覚えていてくれて便利なのに、こいつは動きがトロイ上に、家と外でいちいちIPアドレスの設定をやり直さなきゃならない。

1日約10円の保険を続けるべきか、やめるべきか、悩み中です。

2011/02/04

1Q84

先週末に1Q84を読み終わりました。

相変わらず、言葉の使い方がうまいよね、村上氏は。私の心の中にいつまでも残るであろうと思われる表現は「まだ文字が彫られていない石版のような沈黙」という言葉。言葉を伝えるという石板の役目が果たされていない気まずさと、石という素材の重量感を伴った沈黙であることが伝わってくる素晴らしい表現だと思います。どういう生活をしたらこういう表現が思い浮かぶようになるんだろう。心に何かを感じながら物や人を見るということが大事なんだろうなぁ。

こんな素晴らしい表現が満載の1Q84ですが、結末の表現は意外とストレートなんだよなぁ。青豆さんにどうだったかと聞かれた天吾くんが「夢のよう」とかなんとか言うんだけど。すごくリアルだし、人生の同じような場面で誰でも一度は口にしそうな表現。

この表現の格差の裏には、小松さんの「二つの月がそらに浮かぶ光景を見たことのある読者はいない」という言葉があるんだろうと思います。天吾くんが対面した沈黙は、読者の誰もが対面する沈黙ではないので、それを緻密に表現しないと伝わらない。一方、最後の場面は読者の多くが体験し得る状況なので、余計な言葉で飾るよりストレートに表現した方が読者の体験と重なってよく伝わるということなんだと思う。

読後感としては、他の村上氏の作品同様、よくわからない。不思議な感じだけが残る。3巻にも及ぶ物語は不要であったようにも思えるし、必然であったようにも思える。

ただ、長い人生を生きてきたおっさんとして思ったこと。夢はいつか覚めて夢のまま終わってしまうことがある。他方、夢が現実に変わり日常化することもある。前者の場合、夢を追い求める気持ちだけが残って辛い一方、後者の場合は夢を手にするが陳腐化してもはや夢ではなくなってしまう。どちらがいいのかよくわからない。一番いいのは、夢が現実に変わってからも夢を見ていた時の喜びを噛みしめ続けること。だけどそれが一番難しい。

2011/02/01

やばいなぁ

昼食時のラーメン屋のカウンター

味噌ラーメンをすする私の隣で見ず知らずのおじさんが「やばいなぁ」とつぶやいた

おじさんの視線は別のお客さんのところに運ばれてきたこの店名物の超大盛りラーメンに注がれている

(あぁ、あなたはあれを注文したんですか。あなたの年齢ではちょっときついかも知れませんねぇ。ご健闘をお祈りします)

暫らくして、隣のおじさんに普通の味噌ラーメンが運ばれてきた

(な〜んだ、大盛りラーメンを注文してた訳じゃなかったのか。よかったね)

・・・?!

じゃあ、あの「やばいなぁ」ってのは何だったんだぁぁぁー

頼むから教えてくれ。すごく気になる。

2011/01/31

スピードはサービスか

相変わらず昼食はコンビニで買っています。しかし、最近もっと近くにミニストップがあることに気付き、セブンからそちらにシフトしました。

昼食時の買い物客の混雑具合はそれほど変わりませんが、客の流れはミニストップの方が早く、レジの待ち時間はぐっと短縮されました。なぜ、ミニストップの方がレジの待ち時間が短いのか。それは、レジの中の中を縦横無尽に駆け回る遊撃手のような店員さんがいるからです。

この店員さん、二つのレジの間を行ったり来たりしながら両方のレジの袋詰めを担当しており、レジでのバーコードの読み取りが終わるとほぼ同時に袋詰めが完了しているため、単位時間当たりのお客さん処理量が多く、とてもスムーズ。

しかしですねぇ、この店員さん、仕事中常に一定の間隔で「ありがとうございました」を連発します。お客さんに「ありがとうございました」と言うべきタイミングにお客さんの顔を見て言う訳ではなく、タイミングも何もなく闇雲に、エンドレステープのように連発するんですよねぇ。さらに、仕事をする顔は決してニコヤカであることはなく、いつもスピードを求めて必死の形相。客である私の心も急かされているようでイライラしてきます。

私が買い物をする場合、合計金額を聞いて小銭入れの中をチェックし、なるべく小銭を多く使うように代金を支払うのが常ですが、この店員さんの仕事のスピード、「ありがとうございました」の無意味な連発、必死の形相という3点セットを目の前にすると、小銭入れをチェックするだけの心の余裕を失ってしまい、いつもイラッと千円札を突き出して支払っています。

だから、小銭入れの中は五円玉がいっぱい。一円玉は咄嗟のタイミングでもわりと使いやすい貨幣ですが、五円玉というのは使うのに少々頭がいる幣。よって、頭の弱い私の小銭入れには五円玉が溜まってしまうのです(泣)。

ミニストップのオーナーさん、世の中にはこんな小心者の客もいるよ。

2011/01/30

反省

この人と飲むと普通の時間には帰れないって人、皆さんにも一人や二人はいらっしゃるのではないでしょうか。

木曜日はそんなお方との飲み会がありました。参加者は私とその人の2人だけなので、「会」というようなものではないか...。二人ともホルモン好きなので、まずはホルモン焼き屋から始まったのですが、仕事の話、生活の話、音楽の話などで大いに盛り上がり、2軒目、3軒目といつものように長い飲みとなりました。家に着いたら午前2時(泣)。

大いに盛り上がりつつも意識の流れが乱れることはなく、かなりきちんとしていたつもりだったのですが、そう見えても結構飲んでいたんでしょうね、翌日は、恥ずかしながら、体調不良で仕事を休ませてもらいました。しかし、「この人との飲みではまともな時間に帰れる確率はかなり低い」と予測し、いざとなれば仕事を休んでも大丈夫なように段取りをし、シラっと休むという技が使えるようになったという点では、立派なサラリーマンになったとの感慨もあったりして(照)。ただ、家族は決してそうは思ってくれませんが(爆)。

そんな訳で週末は酒を抜こうかと密かに思っていたところ、夕食の支度をしている嫁から「おとーさん、もうそろそろ飲んでていいよ」と声が掛かると、ここで飲まねば二日酔いの欠勤を反省しているようで格好が悪いという男の意地が先行しつい飲んでしまうという悪循環。今日は本当に抜いたほうがいいのかも知れません(泣)。

酒を飲んで本音で語れる人を持つことは大事だと思うし、時には心のタガを外すことも精神衛生上必要なこと。それに、私が外で飲むなんて最近は月に1回かそこらのことで、それほど無茶をしている訳ではない。しかし、二日酔いで欠勤となると、仕事はきちんと段取りしているとはいえ、こんな私でも少しは反省するんです。自戒の意味も込めて、あまり体調はよくないけれど、この土日はしっかり走りました。

そのお陰で、今月の走行距離が100kmを超えました(驚)。100km/月を走ったのはなんと15ヵ月振り。最近肉がついて標準体重+3kgあたりが新たな標準体重になりかけていたのですが、この2日間の頑張りで、標準体重+1.5kgまで戻りました。昨日、アイダホバーガーセットを昼食に食べてしまったのにも関わらず、2日間でここまで戻れるとは、ランニングの威力ってすごい。

話の趣旨が見えにくくなりましたが、自戒は人を成長させるってことが言いたかったのカナ?

2011/01/27

KARA騒動

最近のKARA騒動の報道を見てて思うこと。

真相はよくわからんし、はっきりいってどうでもいい。

お金の問題だとか、仕事の質の問題だとか、いろいろ言われているけど、芸能活動が経済活動の一種である以上、全くお金が絡んでいないということはないんだろう。

嫁から聞いた話だけど、韓国のアイドルの平均寿命は5年で、アイドルとしての旬が過ぎたあとに司会業に転職するなど、日本のような第二の芸能人生を歩める体制がまだ整ってないらしい。男性アイドルについて所属事務所は彼が兵役に行く前までに投下資金を回収しようとするというし。エンターテイメント市場の規模は日本の30分の1だとか。要はまだ黎明期ってことなんでしょ。

日本の芸能界はどうだったんだい。黎明期ってのは昭和30年代とか40年代になるのかなぁ。日本にだってやっぱり胡散臭い話や騒動はそれなりにあったんじゃないの?
ただ見えないように覆い隠されていただけで。黎明期ってのは才覚のある奴や力のある奴が手段を選ばずのし上がろうとする時代ですよ。いろいろあって当然なんじゃないかなぁ。本人が辞めたいっていうんならやめればいいじゃんって感じです。

とても気になるのは、自分たちの過去を忘れて、自分たちも経験した発展途上段階にある人に、現在の自分たちの成熟した価値観を押し付けようとすることだ。KARA騒動にしても、「俺たちもあんな時代を経験したな」と静かに見守ったらいいんじゃない?

これを敷衍すると、私はここ数代のアメリカ大統領の他国に対する態度ってのが気に食わない。元はと言えば、イギリスから渡った人たちが原住民を蹴散らして住み着き、武力で原住民を追いやって自分たちの領土を広げ、魔女裁判など過去には原始的かつ野蛮な歴史を持っているにも関わらず、アメリカと違う価値観を持つ国や政治体制の異なる国を非難し、経済的圧力を使って同盟国にも非難に輪に加わらせる。

戦争などの国際問題ならともかく、内政問題にまでケチをつけるお前は何様だって感じ。

中国の人権活動家の解放について主権国に意見する前に、自国内の差別や貧困問題をなんとかしろよ。

2011/01/25

ラーメン喰いながら考えた

昼飯に一人で味噌ラーメンをすすりながら考えたこと。

DNAを受け渡す仕組みってのは本当によくできてるよな。DNAって普段は身体の奥に隠れていて表になんて出てこないくせに、次世代への受け渡しのときは宿り主による生殖という仕組みを挟むことで、宿り主が主でDNAは従あるかのような勘違いをさせることにより次世代DNA宿り主の保育をさせ、しかも生殖によりDNAの多様化を図っている。ほんと、うまいこと考えたもんだ。

しかし、最近は断られたくない症候群の若者やいわゆる草食男子のような異性に近づけない人や関心がない人も増えてきてるよな。こいつは、DNAの多様化どころか受け渡し自体がなされないという点では、DNA存続の危機だぞ。

この対応として、DNAはどんな作戦を練っているのだろう。単為生殖か?
でもこれではDNAが混ざらず多様化できないから、カタストロフィで絶滅ということもあるだろう。人間の意思を関与させずに受け渡しと多様化が図れる方法って何かあるんだろうか...?

だけど、考えてみたら、人口減少は日本だけのことで、中国、インド、アフリカといった地域では絶え間なくDNAの受け渡しが行われているのだろうから、DNAにとってはそれほど危惧すべき事態ではないんだな。ただ、日本人という人たちのDNAが絶えるだけのことだ。

あーぁ、深刻に考えて損した。

2011/01/21

断られたくない症候群

今朝の日経新聞の社会面に載っていた「断られたくない症候群」の記事面白いっすねぇ。

人の心理として、こういうことをする気持ちは分からなくもないです。。例えるなら、偶然を装って好きな女の子とすれ違い、女の子がこちらの存在に気付いてくれたら、あわよくば、声など掛けてくれたらラッキーって感じのあれですな。

しかし、リアルワールドでならともかく、バーチャルワールドでもこんな生き方をしている若者って、つくづく「草食系」っていうか、ガラスのハートって感じがしますね。

私も女性に直接的にお声掛けするというのは度胸もありませんし必要性もありませんが、飲み会くらいなら、「今日飲みに行かない?」と単刀直入に切り出したらいいんじゃないですかね。断られれば諦めもつくし、他の人を探すという行動にも移れるし。

こういう間接的な誘い方の場合、誰もそれに気がつかなくて誰からも反応がない場合には、彼/彼女は傷つかないのでしょうか。かえってそっちのほうが心の痛みが大きいのではないかしら。

草食系、ガラスのハート、遠慮の塊等々いろいろな考え方はありますが、こういう人たちってのは、コミットするのがいやな人たちなんだろうなという気がします。自分から誘ったことにより生じる責任を負うことを避け、ひたすら人から誘われるのを待っているって感じ。コミットできる人間になれるようがんぱらないと、勉強も仕事も大成しないよ。

2011/01/19

赤か?

フジサンケイビジネスアイって新聞がありますね。今朝、何の気なしに会社で読んでいました。

そしたら、プロセスはともかくとして、結論が私の消費税と法人税の考えとほぼ同じという論文を発見しました。

俺のアイデアも捨てたもんじゃないと著者を見ると、共産党所属のさる代議士でした。

えぇ、このご時世、共産党を共産主義に結び付けて考えるのは古いってことは承知してますし、特に共産党を毛嫌いしてるという訳でもありません。

しかし、ビミョーだなー。仮にレッドパージなんて起こったら、私もとっ捕まるのでしょうか?

2011/01/16

むかつくこと

今日はつまんないこと書きますよ。

最近、ちょっとムカッときたことがあります。何がって、与謝野さんの内閣への登用ですよ。誤解のないように言っておきますと、私は与謝野さんに対しては何ら負の感情は抱いていません。気に入らないのは民主党のやり方。

与謝野さん入閣を巡る私の見立てはこんな感じなんですけどね。

・埋蔵金があるあるといって、人気取りのための子ども手当や公共投資の拡大やらで、前政権の財政運営を批判しておきながら史上最大規模の予算を組むという失点を犯してしまった民主党、事業仕分けなぞやってみたものの、仕分けの結果に強制力はなく、結局は放漫財政を賄えるだけの財源を獲得できず、いよいよヤバくなってきた。

・これはまずいと菅さんが、自民党との間では選挙の論点となるはずのない「消費税増税」を口走ってみたものの、結果は参院選で大敗し、政権維持の危機。

・人気を保ち政権を維持するためには、マニフェストで約束した放漫財政をある程度続ける必要があるが、その財源をどこかから引っ張ってこなければならない。かといって、前回の選挙の結果からも明らかなように、民主党自身が消費税増税を先導するのは政権の危機。

・そこで、かねてから財政再建派として名高く、閣僚経験と見識を持った(とみんなが思っている)与謝野さんを、民主党主流との対立軸を残したまま、いわば必要悪として閣内に取り込み、与謝野さん主導で消費税増税に舵を切る。

要は、与謝野さんに押し切られたという形で消費税増税に踏み切り、マニフェストで放漫財政を約束した民主党の体面を汚すことなく事を収めるという作戦ではないのか。

本当に子どもっぽい政権だよな。まるで、「そんなことうまくいくはずないよ」という親の忠告を無視して強行したものの、やっぱりうまくはいかず、必死に言い訳している子どもみたいだ。そこで、「お父さんの言うとおりでした。すみませんでした。」と頭を下げてくるならまだ可愛げがあるんだけど、言い訳をするってのはむかつくね。野党時代、闇雲に政権奪取のみを掲げ、前政権による財政運営に対する一定の必然性と改善策を全く学んでなかったってことだね。

もっとむかつくのはですよ、消費税増税を検討している一方で法人税減税を行うこと。物理的生命体でない法人への課税を緩和し、飲み食いすることで物理的生命を維持している個人への課税を強化するってのはどういうことか。つまり、国民は今後の生活の糧を勤労にではなく投資に求めろってことか。そして投資資金を持たない者は敗者ってことかな。

法人税減税の理屈もわかるよ。企業の海外への逃避を防ぎ、投資マネーを日本に呼び込むって作戦だよね。だけど、企業の成長を支えているのは勤労者でしょ。尊い勤労をしている者に重税を課すってのは封建社会の再来かって感じ。こんな状況下、この先日本で生きていくためには、ちょっと頭の回る人なら、勤労者であることをやめて投資家の側にまわるよね。その方が実入りがいいから。そうなると、元々は産業の空洞化を防ぐという目的で実施される法人税減税が、理屈の上では、勤労者の減少による産業の空洞化を促進するってことになるんじゃないか。パラドクスだね。我々の世代は「勤労は尊い」という道徳観の下で育ってきたけど、この先は投資は勤労に勝るというのが日本の道徳となるのか?

欧米では「企業は投資家のもの」という考えが徹底し剰余金をバンバン配当するのに対し、日本企業は内部留保ばかりして配当はしみったれてるから、実際には勤労者であることをやめて投資家に転じるなんてのは無理な話。だから、極端な勤労者の減少を招くことはないと思うのだけど、そういう経済の歪みに乗じて経済政策を成り立たせようとしているのだとしたら、場当たり的だし、「実際に投資家に転じるなんて無理だろ」と弱みに付け込まれて搾り取られているようで、ますます不愉快だっ!

しかし、支持率獲得による政権維持を第一義とする政権の危うさを国民に示し、国民の政治意識を高めたという意味では、民主党政権も日本の政治史に一定の貢献をしたのかも知れない。

ふと思ったんだけど、民主党政権て構造的にはベネズエラのチャべス政権によく似てるな(爆)。

2011/01/11

1Q84

今さらながら、1Q84を買いました。ブック・オフで(爆)。

この本、ものすごーく売れたんでしょうなぁ。田舎ゆえあまり品ぞろえのよくない地元のブック・オフですら、1-3巻全て揃っていました。本当は、村上春樹氏のファンである故、新品を買って同氏の印税収入に貢献したいところですが、二人の子供を抱える貧しい身ゆえ、古本に手を出してしまったことをお許しいただきたいと思います

なぜ今さら1Q84なのか。

映画のノルウェーの森を観に行きたいと思っていたんです。できれば嫁と。しかし、映画を見た人の話によれば、小説を読んでいないと内容の理解は難しいとのこと。であれば、もう一回小説読み直して復習すればいいやと思ってたのですが、小説を読んでいない嫁は、その話を聞いてすっかり観る気を失くしてしまいました(泣)。

あんな感じの映画を一人で見に行くのはちょっとなんだし、かといって子ども(男の子)と行く感じでもなしということで、後でDVDで観ることにしました。

そんな背景があり、一度燃え立った村上春樹の炎を鎮めるため、1Q84でも読んでみるかという気になった訳です。

のっけから来てますなぁ。こんなにかけ離れた2つの物語がどう融合するのか想像もつかん。さすが村上氏。ただ、作家と作品をストーリーに絡ませているところが、「ネタ切れ?」、「自省した末の渾身の作?」という点で気になる。

このところ、なぜだか小説を手にする気が起きず、啓発物やハウツー物ばかり読んでいました。しかしそんな本はちっとも面白くないため、読書すらする気が失せつつあったのですが、久しぶりに面白い小説を読んで、再び読書欲が出てきました。

小説に手を出す気になったというのは、心理的焦りが和らいで心に余裕がでてきたということですかね。

2011/01/09

ほぼ日手帳カバー

年末にほぼ日ストアに注文していた「ほぼ日手帳カバー」が昨日届きました。

これまでは、文庫本サイズというほぼ日手帳の利点を生かして手持ちのAmazonの文庫本カバーを掛けていたのですが、ペンの収納スペースやちょっとしたメモを挟んでおくポケットなどがないため、非常に使い勝手が悪い。それに、外見はどう見ても文庫本なので、仕事中に手帳を取り出すたびに周囲の同僚から「このおっさん、仕事中にちょくちょく本読んでさぼってるな」と思われているのではないかと。私、「仕事に穴を開けている訳でなし、本を読んでいて何が悪いっ!」という性格なので、それくらいではへこたれませんが(笑)。

届いた手帳カバーですが、わりとがっちりした作りで収納ポケットが豊富。更に、カバーの上に掛けるビニール製のオーバーカバーがおまけとして同封されていたのですが、それをつけると手帳サイズがふた回りくらい大きくなり、なんだか要塞化された感じでややスマートさに欠ける(泣)。でも、もう「本を読んでいる」と勘違いされることはなさそうです。

昨日から、ビニールカバーの下に何を挟んでカスタマイズしてやろうかと思案中です。当初は私の愛するレッドツェッペリンのピンナップでも挟もうかと思ったのですが、会議中にZEPの表紙の手帳を取り出せるかという観点から却下。おねえちゃん系ピンナップも品性を疑われるので却下(その疑いは全面的に正しいのですが・笑)。よくある手ではありますが、英字新聞などが洒落てるかもと思いましたが、英字新聞を入手するつてはなし(Daily Yomiuriじゃちょっとねぇ)。そこで考えたのが駅の時刻表。実用本位でいいのではないか。しかし、私は基本的に「来た電車に乗る」人なので、私にとっての実用性は薄いかも。度量衡換算表は? 携帯にいいアプリが入ってるよねぇ、これも。"Just Do It"のナイキのロゴマークなんてのは、「私、ランナーです」とさりげなく主張できていいかも。でも、アディダスやナイキのエナメルバッグを欲しがる子供と同じレベルだよなぁ。

という訳で、何を挟むかという悩みで当分楽しめそうです。

2011/01/08

トラクターを取っ掛かりに考えた

遂に日本版GPSってのができるんですね。新聞の情報によれば、他のシステムやアタッチメントを組み合わせれば測定の精度を数センチにまで高められるとか。日本の入り組んだ狭い農地でも遂にトラクターの無人運転が可能になるらしいです。

トラクターの無人運転をとっかかりに、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の社会モデルを思い浮かべてみました。

私は農作業に従事したことがないので農作業がどんなものなのかよくわかってはいないのですが、トラクターの無人運転が可能になるなら、今までは見張り1人+運転手1人の2人体制で行っていた作業は見張り1人でできるようになるんでしょうなぁ。

するってぇと、手の空いた1人は他の農作業をやればいいのでしょうが、利用可能な農地は限られており、暇にあかせて他の仕事をしたからといって農家の生産性が高まるということはないような気がします。では街で働くかと言ったってこのご時世、そう簡単に仕事など見つかるまい。という訳で手の空いた1人は詩作に励むしかあるまい(なぜに詩作?)

こんな状況があちこちで発生すると思われるので、世の中には大量のにわか詩人が誕生し、詩歌市場(そんなもんあるんかいっ!)には大量の駄作が供給されることになりますなぁ。一方顧客はトラクター自動運転のための設備投資が嵩んで購買力は低下。そうなるともう商売になりませんわ。詩歌市場は崩壊。大量のにわか詩人の運命は...?

こんなようなミクロ的現象が積み重なって、マクロ的には消費者の購買力が低下する一方で、生産者側では労働従事者数は減ってもトラクターの自動運転のお陰で供給能力に変化はないので、供給過多となりデフレが進行。次々に寄せてくる波のようにこんなことが起こるので、すぐにデフレスパイラルに入ってしまうんでしょうなぁ。

街には失業者が溢れ、お金はトラクターの自動運転を仕切る資本家のもとに集中し、社会の二極化がますます顕著になってくる。厳しい自然界であれば、生きる手段を持たない生物は淘汰され、環境に適応した者が環境を維持するに必要な数だけ残り最適なバランスが保たれるということになるのでしょうが、目先だけの保護が行き届いた先進社会では、自然淘汰は起こらない。となると、どういうことが起きるんだろう...というお先真っ暗なシナリオが。

そこで考えたこと。政府がとるべき仕組みとしては、究極的には2つしかないのだろうと。

1つは経済的効率性を全く追求しない完全な福祉社会。仕事の効率を落として大量の労働者を雇用し、多くの人に賃金が行き渡るようにする(一人でできる仕事も五人でやるってことね)。老齢・病気・怪我などのためにこの仕組みからもれてしまう人を扶養するための資金を税金として政府が蓄える。人間は労働で世の中に貢献し対価を得ることに喜びを感じる(と私は思っている)ので、人間を中心に据えた制度としてはいいのではないかと。社会科学を勉強したことがないので正しいかどうかはわかりませんが、社会主義ってことになるのかな(赤い貴族が支配するやつではなくてね)。しかし、この仕組みの中の経済は外部経済とは競争にならないし、保護を求めて移民が押し寄せるでしょうから、鎖国でもしないとこれは実現できないね。

もう1つは、人間社会を完全な自然状態にすること。要は規制を全て廃止し、完全な競争社会にすることで、完全なバランスのとれた社会を実現するということ。

今の世の中は根本的には後者に近いのでしょう。しかし、原則に従って「食えないやつは死ね」と声高に表明するわけにもいかないので、哲学のない目先だけの福祉政策がくっついてるって感じ。哲学がないので福祉費用(税金ね)を負担する人からは文句の嵐。あーぁ。でも忘れてはいけないのは、紛争地域や飢餓地域では、「食えないやつは死ね」って現象が実際に起きていて、悲しいことではあるけれども、これが地球規模での人口増加、需要過剰による社会の崩壊を防いでくれているってこと。

世の中って難しい。何が理想なのかもよくわからん。

しかし、トラクターからこれだけ妄想できる俺って...水島ヒロになれるか!? ちがうかぁ!?

2011/01/04

ほぼ日手帳

年が明けたというのに、新年の挨拶をするでもなく、2週間以上ブログは放置状態。

あーぁ...と落ち込むこともなく、今年も身勝手なマイペースで行ってみたいと思います(別に継続することが目的じゃないし)。しかし、こういう状況に陥ってみると、「ほぼ日糸井新聞」などといいながら毎日更新されている糸井氏はすごいなぁと頭が下がる思いです。だけどあっちはそれが本職だからね。

糸井氏といえば、ことしから糸井氏のサイトでプロデュースしている「ほぼ日手帳」を使ってみることにしました。この数年間はミニ6穴サイズのシステム手帳を愛用していて、私の日頃のぞんざいな扱いのせいで革カバーの縁が色あせてぼろくなりいい感じになってきていたのですが、ミニサイズ故、書くスペースがあまりない。元々手帳はスケジューラーとして使っていて仕事用ノートは別に用意しているので、手帳にそれほど書くスペースは必要ないのですが、年のせいか(あるいは仕事に関心がなくなってきたのか・笑)、仕事のことがあまり記憶に残らず、重要なことは日付にリンクさせて記録しておかないとまずいなと思い始めていました。それ以上に、糸井氏のサイトで紹介されている人たちが「ほぼ日手帳」を楽しそうに使っているというのが手帳を変えた決め手です。

これまでの手帳にも飽きてきたし、自分の生活の一部に変化を取り入れ、生活をよりよくするために頭を使うというのも脳みその老化防止に役立つのではないかと...(爆)

「ほぼ日手帳」には「これでもかっ!」というほど書くスペースがあるので、昨年末に使い始めて以来、一日の終わりに食卓に座って一日を振り返り、その日に起きたこと、考えたこと、思いついたことなどを手帳に書き込むようになりました。その日その日を刹那的に生きるのではなく、今日を振り返り明日に生かすということで、クリエイティブな生活ができればと願っています。こういう習慣も老化防止に役立ちそうだし。いつまでこの習慣が続くかわかりませんが(笑)。「ほぼ日手帳」には、「なんでもない日おめでとう」という殺し文句があるんですよねぇ。つまり、手帳に真っ白なページがあってもいいんだと。そんな訳で気楽に手帳と向き合っていこうと思います。

ところで、ほぼ日ストアで販売されている「ほぼ日のテンプレート」という商品が欲しくて、年末からロフトを4軒も見て回っているんですが、どこにもおいてない。ほぼ日ストアで注文すれば買えるんだけど、700円のテンプレートを買うために送料630円を負担するというのが???で、踏み込めません。2月に4月始まり版のほぼ日手帳が発売されるので、その時期にロフトに行けば見つかるのではないかと淡い期待を抱いています。渋谷のロフトまで行けばあるのかなぁ...