2012/09/08

I'm a real nowhere man

やっぱり歳のせいなのかな、ここ数年、先のことが気になって仕方がありません。

本を読んだり、作業をしたりしていても、先の予定や仕事の段取りが気になり、常に「心ここにあらず状態」。今という瞬間に集中できないので、今やっていることが鮮明な記憶として残らない。

こんなことを繰り返しているので、頭の中に過去がなく、今もなく、思っている未来は漠然としていて、リアルな実感というものがない。

未来の幻想に押しつぶされ、時の狭間に身を置くだけの自分、nowhere manという言葉がピッタリだなと今朝思い当たった。

A型人間なので多少悲観的な面があるのは仕方がないにしても、度を過ぎている。

今を生きる人になりたい。

2012/08/05

日本人として違和感を感じるぜ

男子水泳メドレーリレー、銀メダルとれてよかったなぁ。

だけどね、インタビューがちょっと気になるんだよね。誰が話したか忘れちゃったけど、

「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかないと3人で話し合っていた」といった類の発言。

大人がテレビでこんなこと話すか?って感じ。

北島だって平泳ぎでメダル欲しかったと思うけど、自分の種目のことはしゃーないと切り替えて、後に続く若者がメドレーでメダルがとれるようにと、チームの精神的支柱として、頑張っていたんだろうと想像する訳ですよ。

しかし、年下の連中に公の場であんな言い方されちゃうと、引導渡されたみたいで、惨めだよね。

本番で力を発揮するためにどんな準備をしようが全く構わないけど、何でも公に晒していいというものではないでしょ。

年上の北島をつかまえて、しかも本人の前で、あんな発言をするなんて、人への気配りが足りないというか、大人としての常識を疑うね。

そんな話は、引退して何年も経ってから、バラエティー番組ででも話せよって感じ。

選手に何かをしゃべらせようとするメディアの姿勢も問題なんだろうけどね。

その点、「男は黙して多くを語らず」的な柔道選手のインタビューはいいね。

2012/07/22

自転車でやってきた

この春から、大学の学生寮に入った長男が夏休みで帰省しました...自転車で(爆)

奴は、中学で卓球部、高校でボート部に所属していましたが、何を思ったのか大学ではサイクリング部に入り、私の母親からもらったお祝い金をバーンと使って十ウン万円の自転車を買ったらしい。自転車を自慢したいのと、交通費を浮かすため、3.5時間の道のりをペダルを漕いで帰ってきたとのことです。

うちの嫁は、「自転車で帰ってくるなんて信じられない」ということですが、サイクリング部が3.5時間くらいペダルを漕ぐのはなんでもないことなんでしょう。なんつったって、自転車かついで北海道まで行くような連中だし。

それはそれでいいのだけれど、さすがに十ウン万円の自転車を外においておくわけにもいかず、部屋の中が駐輪場となっているのがなんとも鬱陶しい。

2012/04/29

トランスフォーム


朝のランニング、今日は気分を変えてバイパス沿いを走っていたら、模擬試験でも行われるのか、制服姿で自転車に乗った中学生が何組も通り過ぎていく。

古いバイパスってのは大抵郊外の農地の真ん中を突っ切っているから、周辺住民が少ない故、車以外が通ることは想定していなかったのだろうか、歩道の幅がやたら狭い。今ではバイパスが通ったことで農地の宅地化や商業地化が進み、歩道も結構人が行き交う状態になっている。そういうことを見越して、車道だけ立派にするのでなく、歩道も充分な幅をとっておけばよかったのだろうが、鉄道は狭軌、首都高は2車線と、「狭い国土の有効活用」にばかり目が行っていた当時は、そんな発想は浮かばなかったのだろう。

それはさておき、いつもは歩いて登校している中学生が、友達と自転車でそこそこの距離のところへ出掛けるとなると、そりゃぁ浮かれますわなぁ。狭い歩道を二列縦隊で話をしながら、次から次へとやってくる。そんな状態でランニング中の私とすれ違うわけだが、あの人達の行動はとっても不思議。

まずは自転車を減速(はい、基本のキです)。次にどうするかというと、二列縦隊の幅を可能な限り狭めて私とゆっくりすれ違う。つまり、すれ違う瞬間は歩道に3列になっているということだ。こういう場合、予めすれ違うことを見越し、手遅れにならないタイミングで一列縦隊に「とらんすふぉぉぉーむ!」し、すれ違いが完了した後に再び二列縦隊に復帰、というのがノーマルな方法だと思うのだが。

玉石混合の情報の波にさらされ、携帯、ゲーム、ネット、どうでもいい人付き合い、勉強などで時間に追われ、脊髄反射的に生きている最近の子ども達。現状維持に一所懸命で発想の転換や柔軟な発想をする力や活力が足りないのだろうか。「こういうときは一列縦隊になればよい」という発想すら浮かんでいないんじゃないか...とニッポンの行く末が心配になった。

「向こうからオヤヂが走ってくる~。あたしたちおしゃべりやめたくないし、こっちが少し左に寄って、オヤヂも反対側に寄ってくれれば、並んだまま通れるよね。一列になるのメンドクサイから、このまま行っちゃおう」という思考過程の末の結論であれば、オヤヂはニッポンの行く末に少しは希望を見出せるのですが。

2012/03/05

ネットが発達した世界の行く末

我が家では、週末の夜は夕食前に家族揃っておつまみを食べるという変わった習慣があります。大人はお酒を飲みながら、子どもは清涼飲料水を飲みながら、ナッツ、マメ、チーズ、枝豆等々、いわゆるおつまみをつまむ訳です。

夕べのこと、おつまみをつまむ食卓で、次男が携帯でメールを打っていました。私や長男がやめるように注意してもなかなかやめません。私が駅や電車で普段見掛ける携帯野郎と同様に、注意散漫になっていてこちらの声が聞こえていないのでしょう。

そこで私がガツンと一言。

「お前、おかしぞ。どうして遠くにいて姿が見えない奴の言葉には返事して、目の前にいる人の言葉には返事しないんだ。目の前にいる人のことを優先しろ。ここにいない人から来たメールなんて、慌てて返信なんかしなくていいんだ。電話ならともかく、メールという時点で急ぎの用事じゃないんだから、自分が都合のいいときに返信すりゃいいんだ。くだらない内容だったら放っておいてもいいんだ。携帯を握りしめてメールを待ちかまえ、来たメールにすぐに返信なんてことをしていたら、お前のやりたいことをする時間がなくなるぞ。携帯に夢中になっていると、お前の人生の時間は携帯に奪われるぞ。携帯に支配されるんじゃなくて、携帯を道具としてお前が伸びるような使い方をしろ。」

聞いていたんだか聞いていないんだか、とりあえずメールはやめました。しかし、メールが気になって心ここに在らずだったのでしょうか、自分のコップに清涼飲料水を注ごうとした時、手にしたペットボトルが長男のコップにぶつかり、中の清涼飲料水がテーブルに流れ出したぁぁぁ。私が大慌てでティッシュで流れを食い止めようと奮闘している横で、次男はペットボトルを持ったまま流れの先頭が移動するのをぼーっと見てる。彼の脊髄には「ジュースがこぼれた→急いで拭く」という反応パターンはインプットされていないようです。なにが原因かはわかりませんが、ゲームや意味のない短いメールのやり取りなどの単純な反射で脊髄が鍛えられ、ちょっと複雑な動きには反射できなくなっているんじゃないかと心配です。

そんな訳で、次男は3度めの携帯没収となりました(爆)。

しかし、ネットを使った情報伝達方法の発達というのは、便利な反面、末恐ろしい気がします。目的の人に対して声を発する必要なく瞬時に情報が届くので、「目の前にいる人」、「地球の裏側にいる人」という認識の仕方がなくなりつつあるのかも知れません。そのうち、「目の前にいる人に声で情報を伝えるより、遠くの人にテキストで情報を伝える方が楽」なんて奴が出てくるのかも。

昔と違って、本人に情報を伝えるのにゲートキーパーを突破する必要もなくなりましたから、目上の人と話すに相応しい言葉遣いと態度を身につけるとか、相手の顔色や声色を見るとか、人として成熟するために必要な技術を身につけられる機会が減りましたなぁ。昔は女の子に電話するなんて、清水の舞台から飛び降りるくらいの気合いが必要でしたけど。

そんな訳で、あまりネットが便利にならないことを密かに願っているオヤヂでした。

2012/02/26

陽だまりの彼女

以前、新聞の書評で取り上げられていたことがきっかけで読んでみました。


平凡だ...というのが読み始めた感想。素人の私がプロの作家さんにこんなことを申し上げるのは大変失礼ですが、文章もそれほど上手ではないし、すっと読めない部分がところどころにある。ストーリー自体も、「枚数稼ぐためにダラダラといろいろなエピソード盛り込んで引き伸ばしてるんじゃねえのか」と思いながら読んでおりました。

そしていよいよ結末。ある程度伏線が張られていましたので、予想通りの展開になりました。

「やっぱりな」

しかしです。その決定的なイベントが起こった後の主人公の描写がとてもいいと思いました。ネタばれしちゃうからあまり具体的には書きませんが、読んでいて心が痛くなる感じ。

「それまでは皆の共通認識の対象であったものが、あるとき突然自分ひとりだけの記憶となり、それを他人と共有できないという状況はどれほど心細く狂おしいことなんだろう」

というのがそれを読んだ私の感想。あぁ、いい話だなぁと感じ入っていたところで再びどんでん返しが。

これも詳しくは書きませんが、アイコンが登場しちゃうんだなぁ。ここで私のテンションは切れました。ここからは、頭の中は名探偵コナンモードに突入。人間不思議なもので、心のモヤモヤを解決するヒントが現れると、全てを解決してスッキリしたくなっちゃうんですよねぇ。あぁ、あそこの記述も、ここの記述もこの結末への伏線だったんだと、謎解きをしてすっきり。

心の痛みを感じさせるストーリーが、この結末のおかげで、「随所に伏線が張られたよくできた話」という、落語を聞かされた後のような読後感になってしまいました。

教訓:書きすぎはいけない。結論は読者の想像に任せるくらいの余韻を残してやめなければ。

2012/02/04

これから「正義」の話をしよう

『これから「正義」の話をしよう』という本を今更ながら読みました。しかし、原題は『正義 - 正しい行いとは何か』という感じだと思うのですが、どこがどうなってこんなタイトルになるのか...


それはさておき、本の多くが正義に関するこれまでの考え方の解説に費やされ、中間部が異常なまでに長く、結論にたどり着くまでにたくさん読まなければならないのですが、結論は至ってシンプル。『正義と道徳を切り離すことはできない』ということだと私は解釈したのですが、とても保守的且つ普遍的な結論だと思います。最近はみんな得することばかり考えて、道徳って忘れ去られているよね。

道徳ということで、昔同じコミュニティに住んでいたある人のことを思い出しました。


子どもが小学生の時のことです。学校で友達と遊んでいるときに、ふざけて投げた棒が友達の頭に当たってしまった。幸い怪我もなく、当人同士は和解して事は済んだとのことですが、納得できなかったのが被害者のお母さん。親から詫びがないと激しく学校に苦情があったと先生から聞き、お詫びの電話を入れました。学校には相当激しく言ったようですが我々にはそれほどの剣幕ではありません。しかし決してこちらの詫びを受け入れて納得することはなく、「後で何か症状が出たら困る」等々、ねちねちと言い続けました。

更に事はこれでは収まらず、お詫びの電話を入れた後も学校にはお母さんから継続的に苦情があったとのことで、先生も弱り果て我が家に相談に訪れました。これ以上学校に迷惑を掛けては申し訳ないと、私が直接お詫びに伺うことになりました。

先方のマンションに向かいピンポーン。ご主人が出ていらっしゃいました。内心、「おぉ、これはラッキーだぜ。ご主人なら冷静に判断してくれるだろう」と思いきや、ご主人は「あぁ、私ではわからないので妻がいるときに来てくれませんか」と。その時は「はぁ?」と思いましたが、後でこのお母さんのことを聞いて、「あぁ、この人も被害者なんだ。しかも相当重症でもう戦う意欲も失っているのだ。」と思いました。

再度お母さんがご在宅の時に訪問し、深くお詫びをしてこの一件は済んだのですが、まぁ、我々に関していろいろなことをいろいろな人に吹聴していたようです。嫁は相当ダメージを受けていましたが、私は「そういう人の言うことを真に受けて聞くような人は所詮愚かな人だから気にするな」と嫁に言い続けました。

さて、このお母さんがどんな人なのか。こんな話をコミュニティのみんなが知っているということで、コミュニティがこの人をどう評価しているかがわかるというものですが。

相当早くにご結婚され、ご結婚以前に身ごもられたそうです。所謂できちゃった婚てやつですな。十数年前の不動産価格高騰時に小さな高級マンションをご購入され、それが相当自慢だったようですが、不動産価格下落後には広くてグレードの高いマンションが周辺で多く分譲され、それが面白くなかったようです。お子さんは相当自慢のようで学校一のおしゃれさん。子どもたちの話によれば、ご自宅の子ども部屋はおとぎの国のような仕様だったそうです。

仲のいい数人を除き、他の人には批判的で、「バカばかりの公立に子どもはやれない」と上のお子さんは名の通った東京の私立中学に上げました。他の子をバカと言う割には、ご本人は授業参観に来れば教室内で取り巻き数人とペチャクチャおしゃべり。どっちがバカなんだか。

下のお子さんはもっといい学校に入れようと、小学生の早いうちから某有名進学塾に通わせました。しかし、高いマンションのローン、上のお子さんの私立中学の授業料、下のお子さんの教育費と結構大変だったのでしょう、昼と夜でパートの掛け持ちをされていたようです。しばらくしたら、名の通った東京の私立高校に進学されていた上の娘さんも近所のファーストフード店でアルバイトを始めていました。コミュニティのみんなもあの一家に注目していたのでしょう、「あのうちの娘が○○でアルバイトしてるよ」という話が聞こえてくるようになりました。

苦労の甲斐あって、下のお子さんも東京の某有名私立中学に見事に合格。これを機に、我々にも平穏が訪れました。お引越しをされたんです。コミュニティから聞こえてきたご本人の話では、「下の子の学校が遠くて通うのに大変だから隣の市の親の実家に引っ越す」ということでした。上の娘さんは東京まで電車で通学させたのに、下の息子さんは東京まで通うのが遠くて大変だと...。誰も口には出しませんが、「遂に破綻したのだな」と。

今にして思えば、人の噂話や陰口に精を出したり、苦情が言えるチャンスがあれば執拗なまでに苦情を言ったり、人の過ちを決して許すことができなかったり、全て理想と現実のギャップから生じるストレスがそうさせていたのでしょうなぁ。先のご主人の応対から考えて、もうご主人にもお母さんの暴走を止める力はなく、この家庭はお母さんの意思で転がるしかなかったんだろうなと。因みに、下のお子さん、お勉強は大変よくできるとのことですが、周囲の子ども達の評判は、「悪知恵が働き裏表のある要領のいい奴」というものだったようです。この家庭で生き抜くうちに身に着けた能力だったのでしょう。

ここから学べることは、まずは自助努力が基本だということ。他人の暮らしを羨み妬んでいるだけでは決して向上はしない。何かを得たいと思うなら、持っている人を恨むのではなく自分が努力しなければいけません。そして、人間、身の丈に合った暮らしに満足することを知らなければいけません。持てるものに満足し平穏に暮らしていれば、他人を尊重すること、自分の過ちを認めること、他人の過ちを許すこと、といった道徳的価値観を受け入れることができると思うんですけどね。

これを他山の石として、俺も真人間になれるように頑張ろう。

しかし、今更こんな昔のこと書くなんて、俺もちっちぇえなぁ。

2012/01/25

商売と道徳観

昨日の朝は残雪で、駅への道は一苦労。しかし、駅前商店街まで来れば、商店主の皆さんが店の前の歩道の雪かきをしてくださっているので、こけないように気をつけることもなく、普段通りに歩けます。まったく、ありがたいことです。

きれいに除雪された商店街の歩道に、一か所だけ凍った残雪が残る場所が。何屋さんの前だと思います? キャバクラでーす。

普通の店は、店先の残雪など入店の妨げとなるものはことごとく排除し、日頃のご愛顧の恩返しとばかりに、雪かきなど地域社会のために貢献などをしてくれるものですが、キャバクラはやっぱり業態が違うもんな。

一般の商店とは異なり、行きたい人は借金してでも行くってことですよね。欲望に駆られたお客さんにとっては、店の前に積った雪などなんのその、おねえちゃんに突っ込むために借りまくった借金の山に較べたら軽いもんだってことですな。

結論は、キャバクラの人は店の前の歩道の雪かきをしてくれないってことです。

2012/01/09

連休最終日

あーぁ、3連休も遂に最終日か...。


どうやったら充実した一日が過ごせるかと考えている間に夕方になってしまい、後悔一杯の一日を終えることになるんだよな、今日も。

こんな休日の過ごし方が下手な男に長い休みはいらないな。

さーて、休日の楽しみ、立ち読みにでも出掛けるか(泣)。

2012/01/04

歳を重ねるってことは...

今日で年末年始休暇も終わり。今回の休暇はウイルス性胃腸炎に始まり胃の不調を抱えつつ終わるという感じで何もいいことなかったな。最後くらいは何か楽しいことをしたいと、嫁が掃除をしている隙に都会の片隅まで出かけてみました。


某有名雑貨店、家電量販店、大型書店などを一人楽しく回ってみたんですが、期待に反して買いたくなるようなものがない...

子どもたちが中途半端に大きくなり、先々お金がかかりそうなので支出に対する自制が無意識に働いているということもあるのだろうが、新年にあたり思ったことは「歳をとると欲しいものがなくなるんだな」と。

以前は結構買い物好きだと思っていたんですが、最近は本当に欲しいと思うものがないっす。お金の事情のほかに、家の中に溜まっていく不用品の山から、「無駄」という考え方を学んだんだろうなぁと。

今欲しいと思うのは本くらいのものですね。しかし、読む時間の確保のことを考えるとそう多くも買えない(泣)。本も溜まると重いしねぇ。

という訳で、物欲がなくなったら老人という話でした(爆)。