2012/02/26

陽だまりの彼女

以前、新聞の書評で取り上げられていたことがきっかけで読んでみました。


平凡だ...というのが読み始めた感想。素人の私がプロの作家さんにこんなことを申し上げるのは大変失礼ですが、文章もそれほど上手ではないし、すっと読めない部分がところどころにある。ストーリー自体も、「枚数稼ぐためにダラダラといろいろなエピソード盛り込んで引き伸ばしてるんじゃねえのか」と思いながら読んでおりました。

そしていよいよ結末。ある程度伏線が張られていましたので、予想通りの展開になりました。

「やっぱりな」

しかしです。その決定的なイベントが起こった後の主人公の描写がとてもいいと思いました。ネタばれしちゃうからあまり具体的には書きませんが、読んでいて心が痛くなる感じ。

「それまでは皆の共通認識の対象であったものが、あるとき突然自分ひとりだけの記憶となり、それを他人と共有できないという状況はどれほど心細く狂おしいことなんだろう」

というのがそれを読んだ私の感想。あぁ、いい話だなぁと感じ入っていたところで再びどんでん返しが。

これも詳しくは書きませんが、アイコンが登場しちゃうんだなぁ。ここで私のテンションは切れました。ここからは、頭の中は名探偵コナンモードに突入。人間不思議なもので、心のモヤモヤを解決するヒントが現れると、全てを解決してスッキリしたくなっちゃうんですよねぇ。あぁ、あそこの記述も、ここの記述もこの結末への伏線だったんだと、謎解きをしてすっきり。

心の痛みを感じさせるストーリーが、この結末のおかげで、「随所に伏線が張られたよくできた話」という、落語を聞かされた後のような読後感になってしまいました。

教訓:書きすぎはいけない。結論は読者の想像に任せるくらいの余韻を残してやめなければ。

2012/02/04

これから「正義」の話をしよう

『これから「正義」の話をしよう』という本を今更ながら読みました。しかし、原題は『正義 - 正しい行いとは何か』という感じだと思うのですが、どこがどうなってこんなタイトルになるのか...


それはさておき、本の多くが正義に関するこれまでの考え方の解説に費やされ、中間部が異常なまでに長く、結論にたどり着くまでにたくさん読まなければならないのですが、結論は至ってシンプル。『正義と道徳を切り離すことはできない』ということだと私は解釈したのですが、とても保守的且つ普遍的な結論だと思います。最近はみんな得することばかり考えて、道徳って忘れ去られているよね。

道徳ということで、昔同じコミュニティに住んでいたある人のことを思い出しました。


子どもが小学生の時のことです。学校で友達と遊んでいるときに、ふざけて投げた棒が友達の頭に当たってしまった。幸い怪我もなく、当人同士は和解して事は済んだとのことですが、納得できなかったのが被害者のお母さん。親から詫びがないと激しく学校に苦情があったと先生から聞き、お詫びの電話を入れました。学校には相当激しく言ったようですが我々にはそれほどの剣幕ではありません。しかし決してこちらの詫びを受け入れて納得することはなく、「後で何か症状が出たら困る」等々、ねちねちと言い続けました。

更に事はこれでは収まらず、お詫びの電話を入れた後も学校にはお母さんから継続的に苦情があったとのことで、先生も弱り果て我が家に相談に訪れました。これ以上学校に迷惑を掛けては申し訳ないと、私が直接お詫びに伺うことになりました。

先方のマンションに向かいピンポーン。ご主人が出ていらっしゃいました。内心、「おぉ、これはラッキーだぜ。ご主人なら冷静に判断してくれるだろう」と思いきや、ご主人は「あぁ、私ではわからないので妻がいるときに来てくれませんか」と。その時は「はぁ?」と思いましたが、後でこのお母さんのことを聞いて、「あぁ、この人も被害者なんだ。しかも相当重症でもう戦う意欲も失っているのだ。」と思いました。

再度お母さんがご在宅の時に訪問し、深くお詫びをしてこの一件は済んだのですが、まぁ、我々に関していろいろなことをいろいろな人に吹聴していたようです。嫁は相当ダメージを受けていましたが、私は「そういう人の言うことを真に受けて聞くような人は所詮愚かな人だから気にするな」と嫁に言い続けました。

さて、このお母さんがどんな人なのか。こんな話をコミュニティのみんなが知っているということで、コミュニティがこの人をどう評価しているかがわかるというものですが。

相当早くにご結婚され、ご結婚以前に身ごもられたそうです。所謂できちゃった婚てやつですな。十数年前の不動産価格高騰時に小さな高級マンションをご購入され、それが相当自慢だったようですが、不動産価格下落後には広くてグレードの高いマンションが周辺で多く分譲され、それが面白くなかったようです。お子さんは相当自慢のようで学校一のおしゃれさん。子どもたちの話によれば、ご自宅の子ども部屋はおとぎの国のような仕様だったそうです。

仲のいい数人を除き、他の人には批判的で、「バカばかりの公立に子どもはやれない」と上のお子さんは名の通った東京の私立中学に上げました。他の子をバカと言う割には、ご本人は授業参観に来れば教室内で取り巻き数人とペチャクチャおしゃべり。どっちがバカなんだか。

下のお子さんはもっといい学校に入れようと、小学生の早いうちから某有名進学塾に通わせました。しかし、高いマンションのローン、上のお子さんの私立中学の授業料、下のお子さんの教育費と結構大変だったのでしょう、昼と夜でパートの掛け持ちをされていたようです。しばらくしたら、名の通った東京の私立高校に進学されていた上の娘さんも近所のファーストフード店でアルバイトを始めていました。コミュニティのみんなもあの一家に注目していたのでしょう、「あのうちの娘が○○でアルバイトしてるよ」という話が聞こえてくるようになりました。

苦労の甲斐あって、下のお子さんも東京の某有名私立中学に見事に合格。これを機に、我々にも平穏が訪れました。お引越しをされたんです。コミュニティから聞こえてきたご本人の話では、「下の子の学校が遠くて通うのに大変だから隣の市の親の実家に引っ越す」ということでした。上の娘さんは東京まで電車で通学させたのに、下の息子さんは東京まで通うのが遠くて大変だと...。誰も口には出しませんが、「遂に破綻したのだな」と。

今にして思えば、人の噂話や陰口に精を出したり、苦情が言えるチャンスがあれば執拗なまでに苦情を言ったり、人の過ちを決して許すことができなかったり、全て理想と現実のギャップから生じるストレスがそうさせていたのでしょうなぁ。先のご主人の応対から考えて、もうご主人にもお母さんの暴走を止める力はなく、この家庭はお母さんの意思で転がるしかなかったんだろうなと。因みに、下のお子さん、お勉強は大変よくできるとのことですが、周囲の子ども達の評判は、「悪知恵が働き裏表のある要領のいい奴」というものだったようです。この家庭で生き抜くうちに身に着けた能力だったのでしょう。

ここから学べることは、まずは自助努力が基本だということ。他人の暮らしを羨み妬んでいるだけでは決して向上はしない。何かを得たいと思うなら、持っている人を恨むのではなく自分が努力しなければいけません。そして、人間、身の丈に合った暮らしに満足することを知らなければいけません。持てるものに満足し平穏に暮らしていれば、他人を尊重すること、自分の過ちを認めること、他人の過ちを許すこと、といった道徳的価値観を受け入れることができると思うんですけどね。

これを他山の石として、俺も真人間になれるように頑張ろう。

しかし、今更こんな昔のこと書くなんて、俺もちっちぇえなぁ。