2011/07/22

チューキチョー

昼食時、四人掛けテーブルに座っていたら相席を頼まれ、二人の男性が同席。

席に着くなり一人の男性が店員さんに灰皿を頼み、タバコを吸いだした。同席している他人の私には一言も断りなし。私も一日5本程度の喫煙者ではあるが、昼飯時にこの至近距離でプカプカやられるといささか息苦しくなってくる。店が灰皿を出すってことは、禁煙という訳ではないんだろう。でも、店内でタバコを吸っているのは彼一人だけ。最近は、昼食時禁煙という店も増えたし、喫煙マナーという点で、たとえ喫煙者であっても混雑した昼食時の飲食店でタバコ吸う人はあまりいない。あぁ、咳き込みそうだ。早く火を消してはくれまいかと、煙たい表情で彼の顔とタバコを交互に睨んだものの、全く気付く気配なし。

二人の男性から聞くともなく聞こえてくる会話を聞いていると、二人はチューキチョーというところにお勤めらしい。○○チョーなんてお役所みたいな名前だ。そうか、こちらのお方は日本国民のために昼も夜もなく身を粉にして働いてくださっているお役人様だったのか。お役人様だったら、昼食時の混雑した飲食店で周囲の人に構わずご喫煙されるのも仕方がないな。こちらが我慢しておこう。

食事中、もう一人のお役人様はどうやらラー油がご所望だったようで、食事中の私の料理の上を跨いで手を伸ばされ、テーブルの端にあった調味料のビンをとられたものの醤油だったらしい。私のような身分の低い者は他人様の料理の上に手を伸ばすなんて失礼なことはできないので、「恐れ入りますがラー油をとっていただけますか」と同席者にお願いするところだが、「天皇陛下の官吏」と「臣民」という身分差があるから仕方がない。多少のことは我慢しないと。

お食事前におタバコを吸われていたお役人様は、夏休みはタイのバンコクでご静養されるそうで、ご滞在はコンラッドホテルだそうだ。さすがお役人様、ファイブスターズの超一流どころではないか。なんでも、ホテルのご手配を某有名旅行代理店に依頼されたところ、一泊9,700円という価格の提示を受けられたとのことだ。バンコクは物価が安い都市とはいえ、☆☆☆☆☆のホテルが9,700円とは驚きだ。某有名旅行代理店のホームページ見ても、そんな価格のパッケージは載ってないし。日本国の発展と国民の幸福を第一にお考えになり、お国に滅私奉公されている立派なお役人様のことだから、我々のような卑しい者には手の届かない特別な計らいでもあるのだろうか。所詮、外遊など我々には縁遠いことだから、そこのところは踏み込まずにおこう。

しかしまぁ、呆れたものだ。卑しい身分である我々ですら、トレードシークレットの流出を防ぐため、外部との無用の軋轢を避けるため、社外では仕事の話はしないし、意図せず自分の身分が明らかになるような行動は差し控えるものだ。立派なお役人様は国家公務員法によって守秘義務を課せられているはずだが、こちらが質問をしているわけでもないのに、身分や仕事、更には私生活のことまで教えてくださる。昼食時の飲食店で、我々卑しい臣民に不快感を与えながら、そんなおしゃべりをしていていいのだろうか。スパイはこういう人にくっついていれば仕事が楽だな。実際、こういうパターンで意図せず秘密が漏れていることがあるんじゃないか。

霞ヶ関城にいると、城下の空気を感じることはできないのかな。今日たまたま出くわしたお二人のお役人様が悪いということは全くないんだけど、今や殆どの臣民はお役人様方にとっては敵対勢力でしょ。不況、震災などによる臣民の不満、それに油を注ぐようなお役所の不手際、不祥事、お役人様のわがままな行動。お役人様はいつでも吊し上げを食らうような状況だと思うのだが。私のような卑しい臣民がお役人様になれるはずはないが、仮に私がお役人様だったら、自分に何ら非がなくとも、業務以外の場では自分がお役人様であることを人に知られたくない雰囲気だ。

まあ、私のような卑しい臣民とは違って、志高くご努力をなさってお役人様に上り詰めた立派な方々だから、健全で屈強な心を持ち、私のように卑しくこそこそと隠れたくなるような心理にとらわれることなどないのだろう。

全くもって、ご立派な方々だ。

2011/07/14

ツイッター

「今○○にいる」、「今○○してる」といったどうでもいい情報や、自分の生活圏、行きつけの店等々、個人情報の暴露に繋がることを、ものすごい頻度で書き込む人がツイッターには多いっすなぁ。

これだけの情報が公開されたら、バーチャルストーカーってのも増えるだろうし、「変なメールが来た」といった類の当事者間の揉め事ってのは相当あるんだろうなと想像されます。

どうしてみんな、とてつもない頻度で一文の価値もない客観的事実(しかも個人情報)を書き込むことにエネルギーを費やすのか不思議。

かく言う私もツイッタラーですが、私は客観的事実よりも「思想的な事」を書くように心がけています。「昼食なう」なって書き込みよりは少しは価値があるかなと。

しかしね、思うのですよ。その昔、思春期の頃、心に浮かぶ考えや思想(今思えば単なる世の中への不満)をノートに書いていたよなぁと。しかも、書いた文章はどこにも出さないし、誰もノートを読まないという前提で。誰も読まない前提だから、人には絶対に言えないことも平気で書けるし、どんな過激な思想もOK。そうやって心の浄化を図っていたように思う。

そういうことをやってる人って今もいるのかな。今はやりのツイッターもブログも公開が前提だから、実名報道はアウトだし、個人情報の暴露に繋がる内容もアウト、世の中に受け入れられないよな思想もアウトだろうな。かなり制限を受けて書いてるよね。そういう環境では「昼食なう」くらいしか書くことがなくなってしまうのだろうか。

というか、他人に気を使いながらつまらん文章を書いてもスッキリしないだろっ!と思うけど、その辺、どうなのかしら。

2011/07/11

F1

今朝も暑いなぁとうだる車内でいつものようにpodcastを聴いていたら、今朝は心がときめくような話題が。

皆さん、F1て好きですかねぇ。私は子どもの頃からF1好き。ニキ・ラウダが現役で走ってるころからテレビでレースを見てますからね。最近はすっかり関心が無くなってしまいましたが、それもこのおっさんがpodcastで言っていることに原因があるのかなと。

この週末はイギリスのシルバーストンでF1のレースが行われたようで、BBCのpodcastもF1の話題。ガーディアン紙のスポーツ部門の編集長といういかにも固そうなおっさんがでてきて、キャスターのおねえさん相手にF1のことを語っていました。

おっさん曰く、

50-60年代のレースでは、車もエンジンもチームによってバラバラだったので、チームによって排気音が大きく違っていたものです(高級紙の編集長なので語尾は固めにしてみました)。エンジンは、12気筒、10気筒、8気筒、6気筒などいろいろあり、12気筒エンジンを積んでいたフェラーリの排気音は甲高いものでした。いろいろな排気音があったので、まるでオーケストラが奏でる不協和音のように聞こえたものです。

と、ここで50年代末のレースの音を放送。

うんうん、確かに、フェラーリらしき高音から○○様ご用達極太マフラーっぽい低音まで、バラバラに鳴り響いてるよ。

50年代末のレースの音を聴きながら、キャスターのおねえさん曰く、

本当にエンジン音が違うわね。排気音聴いただけでどのチームのエンジンかわかる?...と激しい突っ込み。編集長曰く「さすがにそれは...」

じゃあ今度は最近のレースの音を聴いてみましょうと、90年代半ばの音。

おねえさん曰く、確かにみんな同じように聞こえるわね。

コスト削減のために各チームが気筒数が同じエンジンを使うようになったから、みんな同じ音なんだとおっさん。さらに、そのうちみんな6気筒のエンジンになっちゃうだろうねと寂しいことを...。

確かに昔はフェラーリの12気筒あり、フォードの8気筒あり、1.5リットルのターボ付きありと、みんなバラバラだったよね。仕様の効率とチームの財力と根性に応じて、最適なシステムを選択するという自由度があって面白かった。子どもにとっては、各チームのエンジンスペックを調べて覚えるというのも楽しみだったし。

現在のレギュレーションというのは、公平性の確保というよりも、夢とロマンのF1が商業主義に陥った結果なんだろうなぁと思います。レースには、メーカーの名誉や宣伝という目的の他に、技術開発、開発技術の市販車へのフィードバックという重要な使命もあったはず。市場の競争では、「スカイラインは強力なエンジン積んでるからカローラより速くてずるい、スカイラインにリミッターつけろ」なんて議論はないわけで、レースも同じなんじゃないかなぁ。

「公平に戦って勝った○○ちゃんはえらいねー」なんて幼稚園児のようなレースではなく、技術と根性と財力をつぎ込んで開発した美しいマシンによる胸躍るようなレースが見たいっす。

件のpodcastはこちらです。

http://downloads.bbc.co.uk/podcasts/radio4/today/today_20110709-0956a.mp3