2012/04/29

トランスフォーム


朝のランニング、今日は気分を変えてバイパス沿いを走っていたら、模擬試験でも行われるのか、制服姿で自転車に乗った中学生が何組も通り過ぎていく。

古いバイパスってのは大抵郊外の農地の真ん中を突っ切っているから、周辺住民が少ない故、車以外が通ることは想定していなかったのだろうか、歩道の幅がやたら狭い。今ではバイパスが通ったことで農地の宅地化や商業地化が進み、歩道も結構人が行き交う状態になっている。そういうことを見越して、車道だけ立派にするのでなく、歩道も充分な幅をとっておけばよかったのだろうが、鉄道は狭軌、首都高は2車線と、「狭い国土の有効活用」にばかり目が行っていた当時は、そんな発想は浮かばなかったのだろう。

それはさておき、いつもは歩いて登校している中学生が、友達と自転車でそこそこの距離のところへ出掛けるとなると、そりゃぁ浮かれますわなぁ。狭い歩道を二列縦隊で話をしながら、次から次へとやってくる。そんな状態でランニング中の私とすれ違うわけだが、あの人達の行動はとっても不思議。

まずは自転車を減速(はい、基本のキです)。次にどうするかというと、二列縦隊の幅を可能な限り狭めて私とゆっくりすれ違う。つまり、すれ違う瞬間は歩道に3列になっているということだ。こういう場合、予めすれ違うことを見越し、手遅れにならないタイミングで一列縦隊に「とらんすふぉぉぉーむ!」し、すれ違いが完了した後に再び二列縦隊に復帰、というのがノーマルな方法だと思うのだが。

玉石混合の情報の波にさらされ、携帯、ゲーム、ネット、どうでもいい人付き合い、勉強などで時間に追われ、脊髄反射的に生きている最近の子ども達。現状維持に一所懸命で発想の転換や柔軟な発想をする力や活力が足りないのだろうか。「こういうときは一列縦隊になればよい」という発想すら浮かんでいないんじゃないか...とニッポンの行く末が心配になった。

「向こうからオヤヂが走ってくる~。あたしたちおしゃべりやめたくないし、こっちが少し左に寄って、オヤヂも反対側に寄ってくれれば、並んだまま通れるよね。一列になるのメンドクサイから、このまま行っちゃおう」という思考過程の末の結論であれば、オヤヂはニッポンの行く末に少しは希望を見出せるのですが。