2011/01/31

スピードはサービスか

相変わらず昼食はコンビニで買っています。しかし、最近もっと近くにミニストップがあることに気付き、セブンからそちらにシフトしました。

昼食時の買い物客の混雑具合はそれほど変わりませんが、客の流れはミニストップの方が早く、レジの待ち時間はぐっと短縮されました。なぜ、ミニストップの方がレジの待ち時間が短いのか。それは、レジの中の中を縦横無尽に駆け回る遊撃手のような店員さんがいるからです。

この店員さん、二つのレジの間を行ったり来たりしながら両方のレジの袋詰めを担当しており、レジでのバーコードの読み取りが終わるとほぼ同時に袋詰めが完了しているため、単位時間当たりのお客さん処理量が多く、とてもスムーズ。

しかしですねぇ、この店員さん、仕事中常に一定の間隔で「ありがとうございました」を連発します。お客さんに「ありがとうございました」と言うべきタイミングにお客さんの顔を見て言う訳ではなく、タイミングも何もなく闇雲に、エンドレステープのように連発するんですよねぇ。さらに、仕事をする顔は決してニコヤカであることはなく、いつもスピードを求めて必死の形相。客である私の心も急かされているようでイライラしてきます。

私が買い物をする場合、合計金額を聞いて小銭入れの中をチェックし、なるべく小銭を多く使うように代金を支払うのが常ですが、この店員さんの仕事のスピード、「ありがとうございました」の無意味な連発、必死の形相という3点セットを目の前にすると、小銭入れをチェックするだけの心の余裕を失ってしまい、いつもイラッと千円札を突き出して支払っています。

だから、小銭入れの中は五円玉がいっぱい。一円玉は咄嗟のタイミングでもわりと使いやすい貨幣ですが、五円玉というのは使うのに少々頭がいる幣。よって、頭の弱い私の小銭入れには五円玉が溜まってしまうのです(泣)。

ミニストップのオーナーさん、世の中にはこんな小心者の客もいるよ。

2011/01/30

反省

この人と飲むと普通の時間には帰れないって人、皆さんにも一人や二人はいらっしゃるのではないでしょうか。

木曜日はそんなお方との飲み会がありました。参加者は私とその人の2人だけなので、「会」というようなものではないか...。二人ともホルモン好きなので、まずはホルモン焼き屋から始まったのですが、仕事の話、生活の話、音楽の話などで大いに盛り上がり、2軒目、3軒目といつものように長い飲みとなりました。家に着いたら午前2時(泣)。

大いに盛り上がりつつも意識の流れが乱れることはなく、かなりきちんとしていたつもりだったのですが、そう見えても結構飲んでいたんでしょうね、翌日は、恥ずかしながら、体調不良で仕事を休ませてもらいました。しかし、「この人との飲みではまともな時間に帰れる確率はかなり低い」と予測し、いざとなれば仕事を休んでも大丈夫なように段取りをし、シラっと休むという技が使えるようになったという点では、立派なサラリーマンになったとの感慨もあったりして(照)。ただ、家族は決してそうは思ってくれませんが(爆)。

そんな訳で週末は酒を抜こうかと密かに思っていたところ、夕食の支度をしている嫁から「おとーさん、もうそろそろ飲んでていいよ」と声が掛かると、ここで飲まねば二日酔いの欠勤を反省しているようで格好が悪いという男の意地が先行しつい飲んでしまうという悪循環。今日は本当に抜いたほうがいいのかも知れません(泣)。

酒を飲んで本音で語れる人を持つことは大事だと思うし、時には心のタガを外すことも精神衛生上必要なこと。それに、私が外で飲むなんて最近は月に1回かそこらのことで、それほど無茶をしている訳ではない。しかし、二日酔いで欠勤となると、仕事はきちんと段取りしているとはいえ、こんな私でも少しは反省するんです。自戒の意味も込めて、あまり体調はよくないけれど、この土日はしっかり走りました。

そのお陰で、今月の走行距離が100kmを超えました(驚)。100km/月を走ったのはなんと15ヵ月振り。最近肉がついて標準体重+3kgあたりが新たな標準体重になりかけていたのですが、この2日間の頑張りで、標準体重+1.5kgまで戻りました。昨日、アイダホバーガーセットを昼食に食べてしまったのにも関わらず、2日間でここまで戻れるとは、ランニングの威力ってすごい。

話の趣旨が見えにくくなりましたが、自戒は人を成長させるってことが言いたかったのカナ?

2011/01/27

KARA騒動

最近のKARA騒動の報道を見てて思うこと。

真相はよくわからんし、はっきりいってどうでもいい。

お金の問題だとか、仕事の質の問題だとか、いろいろ言われているけど、芸能活動が経済活動の一種である以上、全くお金が絡んでいないということはないんだろう。

嫁から聞いた話だけど、韓国のアイドルの平均寿命は5年で、アイドルとしての旬が過ぎたあとに司会業に転職するなど、日本のような第二の芸能人生を歩める体制がまだ整ってないらしい。男性アイドルについて所属事務所は彼が兵役に行く前までに投下資金を回収しようとするというし。エンターテイメント市場の規模は日本の30分の1だとか。要はまだ黎明期ってことなんでしょ。

日本の芸能界はどうだったんだい。黎明期ってのは昭和30年代とか40年代になるのかなぁ。日本にだってやっぱり胡散臭い話や騒動はそれなりにあったんじゃないの?
ただ見えないように覆い隠されていただけで。黎明期ってのは才覚のある奴や力のある奴が手段を選ばずのし上がろうとする時代ですよ。いろいろあって当然なんじゃないかなぁ。本人が辞めたいっていうんならやめればいいじゃんって感じです。

とても気になるのは、自分たちの過去を忘れて、自分たちも経験した発展途上段階にある人に、現在の自分たちの成熟した価値観を押し付けようとすることだ。KARA騒動にしても、「俺たちもあんな時代を経験したな」と静かに見守ったらいいんじゃない?

これを敷衍すると、私はここ数代のアメリカ大統領の他国に対する態度ってのが気に食わない。元はと言えば、イギリスから渡った人たちが原住民を蹴散らして住み着き、武力で原住民を追いやって自分たちの領土を広げ、魔女裁判など過去には原始的かつ野蛮な歴史を持っているにも関わらず、アメリカと違う価値観を持つ国や政治体制の異なる国を非難し、経済的圧力を使って同盟国にも非難に輪に加わらせる。

戦争などの国際問題ならともかく、内政問題にまでケチをつけるお前は何様だって感じ。

中国の人権活動家の解放について主権国に意見する前に、自国内の差別や貧困問題をなんとかしろよ。

2011/01/25

ラーメン喰いながら考えた

昼飯に一人で味噌ラーメンをすすりながら考えたこと。

DNAを受け渡す仕組みってのは本当によくできてるよな。DNAって普段は身体の奥に隠れていて表になんて出てこないくせに、次世代への受け渡しのときは宿り主による生殖という仕組みを挟むことで、宿り主が主でDNAは従あるかのような勘違いをさせることにより次世代DNA宿り主の保育をさせ、しかも生殖によりDNAの多様化を図っている。ほんと、うまいこと考えたもんだ。

しかし、最近は断られたくない症候群の若者やいわゆる草食男子のような異性に近づけない人や関心がない人も増えてきてるよな。こいつは、DNAの多様化どころか受け渡し自体がなされないという点では、DNA存続の危機だぞ。

この対応として、DNAはどんな作戦を練っているのだろう。単為生殖か?
でもこれではDNAが混ざらず多様化できないから、カタストロフィで絶滅ということもあるだろう。人間の意思を関与させずに受け渡しと多様化が図れる方法って何かあるんだろうか...?

だけど、考えてみたら、人口減少は日本だけのことで、中国、インド、アフリカといった地域では絶え間なくDNAの受け渡しが行われているのだろうから、DNAにとってはそれほど危惧すべき事態ではないんだな。ただ、日本人という人たちのDNAが絶えるだけのことだ。

あーぁ、深刻に考えて損した。

2011/01/21

断られたくない症候群

今朝の日経新聞の社会面に載っていた「断られたくない症候群」の記事面白いっすねぇ。

人の心理として、こういうことをする気持ちは分からなくもないです。。例えるなら、偶然を装って好きな女の子とすれ違い、女の子がこちらの存在に気付いてくれたら、あわよくば、声など掛けてくれたらラッキーって感じのあれですな。

しかし、リアルワールドでならともかく、バーチャルワールドでもこんな生き方をしている若者って、つくづく「草食系」っていうか、ガラスのハートって感じがしますね。

私も女性に直接的にお声掛けするというのは度胸もありませんし必要性もありませんが、飲み会くらいなら、「今日飲みに行かない?」と単刀直入に切り出したらいいんじゃないですかね。断られれば諦めもつくし、他の人を探すという行動にも移れるし。

こういう間接的な誘い方の場合、誰もそれに気がつかなくて誰からも反応がない場合には、彼/彼女は傷つかないのでしょうか。かえってそっちのほうが心の痛みが大きいのではないかしら。

草食系、ガラスのハート、遠慮の塊等々いろいろな考え方はありますが、こういう人たちってのは、コミットするのがいやな人たちなんだろうなという気がします。自分から誘ったことにより生じる責任を負うことを避け、ひたすら人から誘われるのを待っているって感じ。コミットできる人間になれるようがんぱらないと、勉強も仕事も大成しないよ。

2011/01/19

赤か?

フジサンケイビジネスアイって新聞がありますね。今朝、何の気なしに会社で読んでいました。

そしたら、プロセスはともかくとして、結論が私の消費税と法人税の考えとほぼ同じという論文を発見しました。

俺のアイデアも捨てたもんじゃないと著者を見ると、共産党所属のさる代議士でした。

えぇ、このご時世、共産党を共産主義に結び付けて考えるのは古いってことは承知してますし、特に共産党を毛嫌いしてるという訳でもありません。

しかし、ビミョーだなー。仮にレッドパージなんて起こったら、私もとっ捕まるのでしょうか?

2011/01/16

むかつくこと

今日はつまんないこと書きますよ。

最近、ちょっとムカッときたことがあります。何がって、与謝野さんの内閣への登用ですよ。誤解のないように言っておきますと、私は与謝野さんに対しては何ら負の感情は抱いていません。気に入らないのは民主党のやり方。

与謝野さん入閣を巡る私の見立てはこんな感じなんですけどね。

・埋蔵金があるあるといって、人気取りのための子ども手当や公共投資の拡大やらで、前政権の財政運営を批判しておきながら史上最大規模の予算を組むという失点を犯してしまった民主党、事業仕分けなぞやってみたものの、仕分けの結果に強制力はなく、結局は放漫財政を賄えるだけの財源を獲得できず、いよいよヤバくなってきた。

・これはまずいと菅さんが、自民党との間では選挙の論点となるはずのない「消費税増税」を口走ってみたものの、結果は参院選で大敗し、政権維持の危機。

・人気を保ち政権を維持するためには、マニフェストで約束した放漫財政をある程度続ける必要があるが、その財源をどこかから引っ張ってこなければならない。かといって、前回の選挙の結果からも明らかなように、民主党自身が消費税増税を先導するのは政権の危機。

・そこで、かねてから財政再建派として名高く、閣僚経験と見識を持った(とみんなが思っている)与謝野さんを、民主党主流との対立軸を残したまま、いわば必要悪として閣内に取り込み、与謝野さん主導で消費税増税に舵を切る。

要は、与謝野さんに押し切られたという形で消費税増税に踏み切り、マニフェストで放漫財政を約束した民主党の体面を汚すことなく事を収めるという作戦ではないのか。

本当に子どもっぽい政権だよな。まるで、「そんなことうまくいくはずないよ」という親の忠告を無視して強行したものの、やっぱりうまくはいかず、必死に言い訳している子どもみたいだ。そこで、「お父さんの言うとおりでした。すみませんでした。」と頭を下げてくるならまだ可愛げがあるんだけど、言い訳をするってのはむかつくね。野党時代、闇雲に政権奪取のみを掲げ、前政権による財政運営に対する一定の必然性と改善策を全く学んでなかったってことだね。

もっとむかつくのはですよ、消費税増税を検討している一方で法人税減税を行うこと。物理的生命体でない法人への課税を緩和し、飲み食いすることで物理的生命を維持している個人への課税を強化するってのはどういうことか。つまり、国民は今後の生活の糧を勤労にではなく投資に求めろってことか。そして投資資金を持たない者は敗者ってことかな。

法人税減税の理屈もわかるよ。企業の海外への逃避を防ぎ、投資マネーを日本に呼び込むって作戦だよね。だけど、企業の成長を支えているのは勤労者でしょ。尊い勤労をしている者に重税を課すってのは封建社会の再来かって感じ。こんな状況下、この先日本で生きていくためには、ちょっと頭の回る人なら、勤労者であることをやめて投資家の側にまわるよね。その方が実入りがいいから。そうなると、元々は産業の空洞化を防ぐという目的で実施される法人税減税が、理屈の上では、勤労者の減少による産業の空洞化を促進するってことになるんじゃないか。パラドクスだね。我々の世代は「勤労は尊い」という道徳観の下で育ってきたけど、この先は投資は勤労に勝るというのが日本の道徳となるのか?

欧米では「企業は投資家のもの」という考えが徹底し剰余金をバンバン配当するのに対し、日本企業は内部留保ばかりして配当はしみったれてるから、実際には勤労者であることをやめて投資家に転じるなんてのは無理な話。だから、極端な勤労者の減少を招くことはないと思うのだけど、そういう経済の歪みに乗じて経済政策を成り立たせようとしているのだとしたら、場当たり的だし、「実際に投資家に転じるなんて無理だろ」と弱みに付け込まれて搾り取られているようで、ますます不愉快だっ!

しかし、支持率獲得による政権維持を第一義とする政権の危うさを国民に示し、国民の政治意識を高めたという意味では、民主党政権も日本の政治史に一定の貢献をしたのかも知れない。

ふと思ったんだけど、民主党政権て構造的にはベネズエラのチャべス政権によく似てるな(爆)。

2011/01/11

1Q84

今さらながら、1Q84を買いました。ブック・オフで(爆)。

この本、ものすごーく売れたんでしょうなぁ。田舎ゆえあまり品ぞろえのよくない地元のブック・オフですら、1-3巻全て揃っていました。本当は、村上春樹氏のファンである故、新品を買って同氏の印税収入に貢献したいところですが、二人の子供を抱える貧しい身ゆえ、古本に手を出してしまったことをお許しいただきたいと思います

なぜ今さら1Q84なのか。

映画のノルウェーの森を観に行きたいと思っていたんです。できれば嫁と。しかし、映画を見た人の話によれば、小説を読んでいないと内容の理解は難しいとのこと。であれば、もう一回小説読み直して復習すればいいやと思ってたのですが、小説を読んでいない嫁は、その話を聞いてすっかり観る気を失くしてしまいました(泣)。

あんな感じの映画を一人で見に行くのはちょっとなんだし、かといって子ども(男の子)と行く感じでもなしということで、後でDVDで観ることにしました。

そんな背景があり、一度燃え立った村上春樹の炎を鎮めるため、1Q84でも読んでみるかという気になった訳です。

のっけから来てますなぁ。こんなにかけ離れた2つの物語がどう融合するのか想像もつかん。さすが村上氏。ただ、作家と作品をストーリーに絡ませているところが、「ネタ切れ?」、「自省した末の渾身の作?」という点で気になる。

このところ、なぜだか小説を手にする気が起きず、啓発物やハウツー物ばかり読んでいました。しかしそんな本はちっとも面白くないため、読書すらする気が失せつつあったのですが、久しぶりに面白い小説を読んで、再び読書欲が出てきました。

小説に手を出す気になったというのは、心理的焦りが和らいで心に余裕がでてきたということですかね。

2011/01/09

ほぼ日手帳カバー

年末にほぼ日ストアに注文していた「ほぼ日手帳カバー」が昨日届きました。

これまでは、文庫本サイズというほぼ日手帳の利点を生かして手持ちのAmazonの文庫本カバーを掛けていたのですが、ペンの収納スペースやちょっとしたメモを挟んでおくポケットなどがないため、非常に使い勝手が悪い。それに、外見はどう見ても文庫本なので、仕事中に手帳を取り出すたびに周囲の同僚から「このおっさん、仕事中にちょくちょく本読んでさぼってるな」と思われているのではないかと。私、「仕事に穴を開けている訳でなし、本を読んでいて何が悪いっ!」という性格なので、それくらいではへこたれませんが(笑)。

届いた手帳カバーですが、わりとがっちりした作りで収納ポケットが豊富。更に、カバーの上に掛けるビニール製のオーバーカバーがおまけとして同封されていたのですが、それをつけると手帳サイズがふた回りくらい大きくなり、なんだか要塞化された感じでややスマートさに欠ける(泣)。でも、もう「本を読んでいる」と勘違いされることはなさそうです。

昨日から、ビニールカバーの下に何を挟んでカスタマイズしてやろうかと思案中です。当初は私の愛するレッドツェッペリンのピンナップでも挟もうかと思ったのですが、会議中にZEPの表紙の手帳を取り出せるかという観点から却下。おねえちゃん系ピンナップも品性を疑われるので却下(その疑いは全面的に正しいのですが・笑)。よくある手ではありますが、英字新聞などが洒落てるかもと思いましたが、英字新聞を入手するつてはなし(Daily Yomiuriじゃちょっとねぇ)。そこで考えたのが駅の時刻表。実用本位でいいのではないか。しかし、私は基本的に「来た電車に乗る」人なので、私にとっての実用性は薄いかも。度量衡換算表は? 携帯にいいアプリが入ってるよねぇ、これも。"Just Do It"のナイキのロゴマークなんてのは、「私、ランナーです」とさりげなく主張できていいかも。でも、アディダスやナイキのエナメルバッグを欲しがる子供と同じレベルだよなぁ。

という訳で、何を挟むかという悩みで当分楽しめそうです。

2011/01/08

トラクターを取っ掛かりに考えた

遂に日本版GPSってのができるんですね。新聞の情報によれば、他のシステムやアタッチメントを組み合わせれば測定の精度を数センチにまで高められるとか。日本の入り組んだ狭い農地でも遂にトラクターの無人運転が可能になるらしいです。

トラクターの無人運転をとっかかりに、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の社会モデルを思い浮かべてみました。

私は農作業に従事したことがないので農作業がどんなものなのかよくわかってはいないのですが、トラクターの無人運転が可能になるなら、今までは見張り1人+運転手1人の2人体制で行っていた作業は見張り1人でできるようになるんでしょうなぁ。

するってぇと、手の空いた1人は他の農作業をやればいいのでしょうが、利用可能な農地は限られており、暇にあかせて他の仕事をしたからといって農家の生産性が高まるということはないような気がします。では街で働くかと言ったってこのご時世、そう簡単に仕事など見つかるまい。という訳で手の空いた1人は詩作に励むしかあるまい(なぜに詩作?)

こんな状況があちこちで発生すると思われるので、世の中には大量のにわか詩人が誕生し、詩歌市場(そんなもんあるんかいっ!)には大量の駄作が供給されることになりますなぁ。一方顧客はトラクター自動運転のための設備投資が嵩んで購買力は低下。そうなるともう商売になりませんわ。詩歌市場は崩壊。大量のにわか詩人の運命は...?

こんなようなミクロ的現象が積み重なって、マクロ的には消費者の購買力が低下する一方で、生産者側では労働従事者数は減ってもトラクターの自動運転のお陰で供給能力に変化はないので、供給過多となりデフレが進行。次々に寄せてくる波のようにこんなことが起こるので、すぐにデフレスパイラルに入ってしまうんでしょうなぁ。

街には失業者が溢れ、お金はトラクターの自動運転を仕切る資本家のもとに集中し、社会の二極化がますます顕著になってくる。厳しい自然界であれば、生きる手段を持たない生物は淘汰され、環境に適応した者が環境を維持するに必要な数だけ残り最適なバランスが保たれるということになるのでしょうが、目先だけの保護が行き届いた先進社会では、自然淘汰は起こらない。となると、どういうことが起きるんだろう...というお先真っ暗なシナリオが。

そこで考えたこと。政府がとるべき仕組みとしては、究極的には2つしかないのだろうと。

1つは経済的効率性を全く追求しない完全な福祉社会。仕事の効率を落として大量の労働者を雇用し、多くの人に賃金が行き渡るようにする(一人でできる仕事も五人でやるってことね)。老齢・病気・怪我などのためにこの仕組みからもれてしまう人を扶養するための資金を税金として政府が蓄える。人間は労働で世の中に貢献し対価を得ることに喜びを感じる(と私は思っている)ので、人間を中心に据えた制度としてはいいのではないかと。社会科学を勉強したことがないので正しいかどうかはわかりませんが、社会主義ってことになるのかな(赤い貴族が支配するやつではなくてね)。しかし、この仕組みの中の経済は外部経済とは競争にならないし、保護を求めて移民が押し寄せるでしょうから、鎖国でもしないとこれは実現できないね。

もう1つは、人間社会を完全な自然状態にすること。要は規制を全て廃止し、完全な競争社会にすることで、完全なバランスのとれた社会を実現するということ。

今の世の中は根本的には後者に近いのでしょう。しかし、原則に従って「食えないやつは死ね」と声高に表明するわけにもいかないので、哲学のない目先だけの福祉政策がくっついてるって感じ。哲学がないので福祉費用(税金ね)を負担する人からは文句の嵐。あーぁ。でも忘れてはいけないのは、紛争地域や飢餓地域では、「食えないやつは死ね」って現象が実際に起きていて、悲しいことではあるけれども、これが地球規模での人口増加、需要過剰による社会の崩壊を防いでくれているってこと。

世の中って難しい。何が理想なのかもよくわからん。

しかし、トラクターからこれだけ妄想できる俺って...水島ヒロになれるか!? ちがうかぁ!?

2011/01/04

ほぼ日手帳

年が明けたというのに、新年の挨拶をするでもなく、2週間以上ブログは放置状態。

あーぁ...と落ち込むこともなく、今年も身勝手なマイペースで行ってみたいと思います(別に継続することが目的じゃないし)。しかし、こういう状況に陥ってみると、「ほぼ日糸井新聞」などといいながら毎日更新されている糸井氏はすごいなぁと頭が下がる思いです。だけどあっちはそれが本職だからね。

糸井氏といえば、ことしから糸井氏のサイトでプロデュースしている「ほぼ日手帳」を使ってみることにしました。この数年間はミニ6穴サイズのシステム手帳を愛用していて、私の日頃のぞんざいな扱いのせいで革カバーの縁が色あせてぼろくなりいい感じになってきていたのですが、ミニサイズ故、書くスペースがあまりない。元々手帳はスケジューラーとして使っていて仕事用ノートは別に用意しているので、手帳にそれほど書くスペースは必要ないのですが、年のせいか(あるいは仕事に関心がなくなってきたのか・笑)、仕事のことがあまり記憶に残らず、重要なことは日付にリンクさせて記録しておかないとまずいなと思い始めていました。それ以上に、糸井氏のサイトで紹介されている人たちが「ほぼ日手帳」を楽しそうに使っているというのが手帳を変えた決め手です。

これまでの手帳にも飽きてきたし、自分の生活の一部に変化を取り入れ、生活をよりよくするために頭を使うというのも脳みその老化防止に役立つのではないかと...(爆)

「ほぼ日手帳」には「これでもかっ!」というほど書くスペースがあるので、昨年末に使い始めて以来、一日の終わりに食卓に座って一日を振り返り、その日に起きたこと、考えたこと、思いついたことなどを手帳に書き込むようになりました。その日その日を刹那的に生きるのではなく、今日を振り返り明日に生かすということで、クリエイティブな生活ができればと願っています。こういう習慣も老化防止に役立ちそうだし。いつまでこの習慣が続くかわかりませんが(笑)。「ほぼ日手帳」には、「なんでもない日おめでとう」という殺し文句があるんですよねぇ。つまり、手帳に真っ白なページがあってもいいんだと。そんな訳で気楽に手帳と向き合っていこうと思います。

ところで、ほぼ日ストアで販売されている「ほぼ日のテンプレート」という商品が欲しくて、年末からロフトを4軒も見て回っているんですが、どこにもおいてない。ほぼ日ストアで注文すれば買えるんだけど、700円のテンプレートを買うために送料630円を負担するというのが???で、踏み込めません。2月に4月始まり版のほぼ日手帳が発売されるので、その時期にロフトに行けば見つかるのではないかと淡い期待を抱いています。渋谷のロフトまで行けばあるのかなぁ...