2011/07/14

ツイッター

「今○○にいる」、「今○○してる」といったどうでもいい情報や、自分の生活圏、行きつけの店等々、個人情報の暴露に繋がることを、ものすごい頻度で書き込む人がツイッターには多いっすなぁ。

これだけの情報が公開されたら、バーチャルストーカーってのも増えるだろうし、「変なメールが来た」といった類の当事者間の揉め事ってのは相当あるんだろうなと想像されます。

どうしてみんな、とてつもない頻度で一文の価値もない客観的事実(しかも個人情報)を書き込むことにエネルギーを費やすのか不思議。

かく言う私もツイッタラーですが、私は客観的事実よりも「思想的な事」を書くように心がけています。「昼食なう」なって書き込みよりは少しは価値があるかなと。

しかしね、思うのですよ。その昔、思春期の頃、心に浮かぶ考えや思想(今思えば単なる世の中への不満)をノートに書いていたよなぁと。しかも、書いた文章はどこにも出さないし、誰もノートを読まないという前提で。誰も読まない前提だから、人には絶対に言えないことも平気で書けるし、どんな過激な思想もOK。そうやって心の浄化を図っていたように思う。

そういうことをやってる人って今もいるのかな。今はやりのツイッターもブログも公開が前提だから、実名報道はアウトだし、個人情報の暴露に繋がる内容もアウト、世の中に受け入れられないよな思想もアウトだろうな。かなり制限を受けて書いてるよね。そういう環境では「昼食なう」くらいしか書くことがなくなってしまうのだろうか。

というか、他人に気を使いながらつまらん文章を書いてもスッキリしないだろっ!と思うけど、その辺、どうなのかしら。

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