2011/05/17

女性検診中

昼休み、通りを歩いていたら、路肩に駐車した検診者に「女性検診中」という札が下がっていました。

検診車は出入り口、窓など、下界と繋がっているところは全て厚いカーテンで遮断されているので、そんな心配は要らないのでしょうが、検診車との距離を充分にとり、首を真っすぐ前に固定したまま、静かに通り過ぎました。あんな札がかかってたら、小市民は緊張しますわな。

しかし、わざわざ「女性検診中」なんて知らしめる必要があるのかしら。却って不心得者の関心を引くなんてことはないのかな。私が女性だったら、そんなものを張り出して「あぁ、女性がこの中で検診を受けているのか」などと世間の注目を集めることなく、誰にも気づかれないうちにささっとやっちまって欲しいと思うだろうなぁと思いますが、女性になることはできないのでわかりません。

検診車内部の様子の情報を開示するこの札には、「みんな、今この中で女性が検診を受けているってわかってるよね。覗いたりしたら大変なことになるよ。『じょっ女性がいるなんて知らなかったんだよ』なんて言い訳は通用しないからね。即逮捕ね。」という見えない文字が書かれているようでどうも気持ちが悪い。「情報開示」せずに覗き事件が起こった場合の管理者責任を回避するため、「情報開示」することにより情報受領者の責任に転嫁しているんだろうなぁ...

なんて書いているうちに、単に、「女性の検診中に男性の受検車が間違って入ってくることを防ぐ」ことが目的なのかなと思い至りました。きっとそうなんだろうな。

ところで、情報開示といえば、先の原発事故では政府や東電が情報開示が足りないと世間様からお叱りを受けていましたなぁ。昔なら、「みなさんは説明内容を理解するだけの専門知識をお持ちではないし、説明内容が誤って伝わって要らぬ不安やパニックを招いてはいけないので、全てこちらで適切に処理しますのでご安心ください」という対応が結構通っていたし、お上に従うことに慣れている日本人も「よくわからねぇけど、とにかくうまくやってくれよな」と対処していた気がします。最近は海の向こうからアカウンタビリティという概念が入ってきたので、猫も杓子も情報開示の連呼です。

まぁ、事が公共の健康と安全に関ることなので、情報開示を求めることは当然だと思いますし、私も反対ではありません。しかし、私が違和感を抱くのは、情報開示を受けた側のその後の対応。相手が誤魔化していた場合、相手の不適切な対応を責めることは当然だと思いますが、相手が知り得る限りの情報を真摯に開示した場合、情報を開示された側にも情報を受け取った責任が生じると思うんですよね。例えば、原発事故後の各地の客観的な放射線量が開示された場合、その値をどう考え、どう行動するかは情報開示を受けた側の責任だと思う訳です。政府の方針に従うも、遠くへ非難するも、どちらにするかという判断は自己責任。

情報開示しろ、情報開示しろ、と散々騒いだ上で、情報開示を受けたら受けたで、俺たちはどうしたらいいのか教えろ、政府は何をやってるんだ、東電はちゃんとやってるのか、と文句を繰り返すようでは、情報開示する側は情報開示するメリットを受けられない(情報開示することによりますます叩かれるだけ)ので、積極的に情報開示をする姿勢にはならないよね。

他人に情報を要求する以上、受け取った情報を使って自分で考える努力もしましょう。

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