2009/08/11

対極の進化

台風の影響で、昨日、今日とバケツをひっくり返したような雨に見舞われています。

それでも部活に出かけていく長男、ご苦労さまです。

最近の部活はすごいですね。スケジュールの連絡や当日の中止の連絡が携帯電話のメールで来るんです。

昨日の朝は、家の前の道路の路肩が冠水してしまうくらいの激しい雨でした。しかし長男の携帯には「部活中止」の連絡がなく、「いったいどうなってんだ」と長男はヤキモキ。

私としては、どう考えたってこの雨じゃ練習なんかするわけないんだから休めばいいのにと思いましたが、そこは長男の自律性に期待し、放っておきました。

結局、家を出る時間まで中止の連絡はなく、ワイパーを使っても前が見えないほどの激しい雨の中、私と一緒に嫁が運転する車に乗り駅に向かいました。

昨夜、その続きを聞いたのですが、電車に乗って一駅過ぎたところで「部活中止」のメールがあり、嫁は30分も経たないうちに再度駅まで長男を迎えに行ったそうです。

こういうのを聞くと、人間社会の進化の方向性について考えてしまいます。

昔は携帯なんかなくて、個人同士が直接つながっているということはありませんでした。電話があるとはいっても、それは家、会社といった組織に属するものですので、個人と個人は組織間の連絡網を通じてつながっていた訳ですね。

従って、現場で生じた問題は、現場で考えて現場で処理していた訳です。現場で処理しきれないものに限り、組織間の連絡網を通じて連絡すべきところに連絡して判断を仰いでいたということですね。

しかし今は、電話の取り次ぎといった面倒な手順を通さず、簡単に個人と直接連絡が取れるので、現場の判断力が落ちている(と言うかなくなってる)ような気がします。

以前の人間社会は分散型脳みそ(現場の各人がそれぞれ判断する)だったのに、一人の人間の判断結果がその他人間に伝達されるという中央集権型脳みそにだんだんと変化しているような...。

コンピューターの世界では、以前の「ホスト+ダム端末」から「クライアント・サーバー型」という分散型に変化しているのに、人間社会ではその逆の変化が起こっているように思われます。

人間誰でも考えるのは面倒くさいし、判断するのもいやなものです。誰とでも簡単に連絡がつくというインフラが整えば、判断するお役目の人を祀り上げみんなが判断に従うという方向への変化は、人間の怠惰性を考えればやむを得ないことかも知れませんが。

しかし、コンピューターの世界で起きたように、ホストコンピューターたる人間が高負荷に耐えられなくなれば、再び分散型に変化するのかもね。

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