2009/10/07

冤罪ドラマ

昨夜テレビでやっていた痴漢冤罪ドラマ、制作者の立ち位置によっては賛否両論が噴出しそうなテーマですが、それを放送するというのは相当な勇気ですね。

まぁ、冤罪ドラマなので、容疑者側の視点に立った構成になっていました。

しかし、終盤に被害者の「じゃぁ、誰がやったっていうんだよ」というセリフを入れることによって、テーマを押し広げていましたね。

たとえ、その容疑者の無罪が立証されたとしても、痴漢をした真犯人がいる。裁判をしても被害者は救われない。

しかし、冤罪を立証するきっかけが、普通の人の人生には決して訪れることのないような超レアな偶然だったというのは、ちょっとガッカリです。

テーマやその扱い方はとてもよかったのに、筋立ては二級品でしたな。


所詮、法は不完全なもの。

起きてしまった「事態」を懲罰などによって解決する手段は提供するけど、「事態」が起きることを法が物理的に防いでくれるわけではありません。

子供たちが小さい頃、「歩道を歩いていても車が突っ込んでくることはあるよ。いくら運転手が悪いといっても、轢かれた痛みは消えないし、死んでしまったら生き返れないよ。だから、歩道を歩いているからと油断せず、気をつけなさい。」と注意を促していましたが、法の能力はそんなもの。

刑法で相手に懲罰を与えたり、民法で受けた苦痛を経済的価値に置き換えて賠償してもらうことはできるかも知れませんが、決して、起きてしまったことを「なかったことにする」ことはできないんです。人の感情も含めて元の状態に修復してくれる訳ではありません。

容疑をかけられる人の側に立っても、それは同じこと。

法は所詮人間が決めたルールですから、神様の視点に立って真実を判定することはできません。

法の内容や司法の運用によっては、たとえ「罪」を犯していなくても犯罪者とされてしまうことはあるんだと思います。

結局は、私が子供たちに注意していたように、自衛するしかないんだと思います。

昨日のドラマで考えれば、女性は混雑した電車を避ける、おかしな人の近くにいかない、毎日同じ電車に乗らない、女性専用車両を利用するなど、男性は女性の近くに乗車しない、女性がいたら背を向ける、手で吊革を掴むなど、の方法で、被害に遭う状況や加害者に間違われそうな状況を招かないということが解決策じゃないかな。

法によって洗練された世の中になってしまっていますが、時には原始的に物事を考えることも必要だと思います。

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