2008/09/02

夏休みの宿題

「整骨院新聞」っていう書き出しでもわかりますかね。私の家から駅に向かう通りにある整骨院が、毎朝黒板に書いている短信を私が勝手にそう呼んでいるんですが。内容がタイムリーで時に鋭いので、通勤時でもそこを通るときだけは歩速をゆるめて読んでいます。

昨日のテーマはちょっとドキッとするものでした。

夏休みの宿題終わってますか?
子供だけではありません。
誰にも課題はあるのです。

う〜ん、夏休みの課題かぁ。俺の課題はなんだったんだ? �自宅−大阪城横断マラソンを完結させること、�宅録を完成させること、�普段さぼりがちな英語の勉強を加速させること、�家族と充実した時間を過ごすこと...、いくつか課題があったような気がするなぁ。

�は8月31日に滑り込みセーフで完了しました。�は8月29日に「えいっ、これでいいやっ!」って感じで完成させました。�は私一人の都合ではどうにもならないのですが、家族全員で映画を観て焼肉を食べに行ったからまぁいいか。問題は�です。8月31日にiKnowのレベルを1つ上げたという実績はありますが、エデンの東は全然読まなかったし、毎月買っているAera Englishも発売日にちょこっと読んだっきり読んでません。そういえば、早起きしてもBBCはCNNは観ずに普通のテレビ観てたなぁ。総じていえば60点でぎりぎり及第といったところでしょうか。完了した課題もクオリティ低かったしなぁ。

人は日々前向きに生きていかなければいけないので、課題を設定することは必要だと思います。課題に取り組んで熱くなっているときはいいのですが、ふと我に返り、「頑張ってこの課題をこなしても、自ら次の課題を設定して這い上がらなければいけないんだよなぁ。」と課題の無限地獄に思いを巡らし滅入ってしまうことがあります。そういえば小学生の頃、朝起きて時間割を揃えながら、「今日が終わって明日が来てまた時間割を揃えて、明日が終わっても明後日が来てまた時間割を揃えて...」と時間割の無限地獄に思い至り悲しい気持ちになったことを思い出します。今でも時々、技術革新など無関係の世界で、毎日同じことをしてその日の食い扶持を稼ぐような生き方をしてみたいなぁと、現実逃避的なことを考えています。無意識のうちに、自分の進化は行き着いてしまったと感じているのかも知れません。しかし、暇だったり単調すぎると難しいことをしたくなるのが人間、やっかいなものです。

適度に難しく、適度に単調で、物事を考える充分な時間が持てるという生活が理想ですかね。イタリアの反グローバリゼーション、ちょっとうらやましく思います。

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