2008/05/16

不敗戦略

忙しくて視野が狭くなっているんでしょうか、最近電車の中の出来事くらいしか目に入ってきません。

さて、今朝は車中での言い争いに遭遇しました。
「まわりの迷惑も考えろよ...」
というおじさんのつぶやく様な苦言に被さるようにして
「じゃぁ、押すのはオッケーなのか!」
というヤングサラリーマンの怒号が聞こえてきました。

あーぁ、朝からたまらんなぁ、頼むから二人とも次の駅で降りて、続きはホームでやってくれよと願っていたのですが、次の駅に着いても二人とも降りる気配がないので、私が降りて隣のドアに移動しました。

全く状況はわかりませんが、やりとりから察するところ、超混雑している車中でのヤングサラリーマンの傍若無人振りに我慢の限界を超えた中年サラリーマンが苦言を呈したところ、ヤングサラリーマンが反撃してきたといったところでしょう。どちらに向かって言っているのかわかりませんが、回りから「こんな奴突き出しちゃえ」といった声も聞こえてきましたので、犯罪行為も絡んでいるのかも知れません。これは私の勝手な推測ですので、本当は中年サラリーマンに非がある、あるいは、両者とも非があるということかも知れませんが。

しかし、声を荒げた時点で負けです。それだけで周りの人の信用を失います。混雑した車中に限らず、声を荒げる人には共通した特徴があるように思います。
�相手に最後までしゃべらせない
�相手の問いに答えず主題からはそれている点で反撃する
今回のヤングサラリーマン、�については、おじさんがしゃべっている途中で割り込んで声を張り上げていますし、�については、おじさんが注意している自分の非は棚に上げて「押した」というおじさんの非を攻撃対象にしています。相手にはしゃべらせず、自分の論理で話を進めるということですね。

私はこれを不敗戦略と名づけました。相手には話す機会を与えず、相手の問いは無視して別の視点から攻撃を続けていれば、話がかみ合わないので、論争に勝つことはなくとも、負けることもない(物別れに終わる)という戦略です。「覚えてろよ!」と捨て台詞を残して去っていくことをゴールにする戦略ですね。

心理的に分析するに、相手にしゃべらせないというのは相手に自分の非を指摘されるのがいやだから、相手の主張とは異なる視点で相手を攻撃するのは相手の主張に乗ってしまうと自分の非が明らかとなるから、というのが理由ではないでしょうか。要は自分が依って立つ論理の根拠の弱さに自分でも気がついていて、自信のなさを覆い隠して攻撃するためにこのような戦略をとらざるを得ないということでしょう。そう考えると、不敗戦略をとる人の心の底が透けて見えるようで、いやだなぁ。

昔とちがって、非を認めて謝っても「わかればいいんだよ」で済ませてくれる人が少なくなった世の中、非を認めたことで被る法的責任や経済的損失を考えると、このような戦略も世の中を渡っていくためには必須になっているのかも知れません。悲しいことです。

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