2008/05/29

高密度情報と人の退化

ブルーレイ、きてますねぇ。電車の中にも広告のステッカーが貼られています。なんでも、ハイビジョンの連続ドラマを、ハイビジョン画質のまま1クール分を1枚のディスクに録画できるとか。矢沢さんも「ブルーレイじゃなきゃもったいない」と高密度の画質を宣伝しています。

テレビに限らず、私が子供だった頃に較べて、情報の高密度化には目を見張るものがあります。特にインターネットはこれに大きく貢献しているでしょうね。ちょっと何かを調べようと検索をかけると、頭に入りきらないほどの情報を提供されて、ゲップが出そうです。

ちょっと思うわけですよ、こういうことっていうのは人の能力を果たして進化させるのか、あるいは退化させるのかって。人間というのは、目や耳から入る情報を脳で補正して感じているんだと思います。小説を読めば場面を映像で想像し、2次元の画像を見ればそれを3次元に補正し、といった具合ですね。

どーでもいいことですが、私の経験上、自分の演奏を録音した音楽のミキシングをする時、経験が浅いうちは、聴こえる音を自分の頭の中でいいバランスに補正して聴いてしまうため、いいミックスは作れません。聴こえるままの音を聴こうと耳を鍛えると、だんだん音のバランスがわかるようになってきて、少しよいミックスが作れるようになります。その代わり、聴こえるままの音を聴く耳になってしまうので、カクテルパーティー効果(雑音の中から聴きたい音だけを聴く能力)は弱くなっているような気がしますが(泣)。

さて、テレビはハイビジョン放送で画像密度を高め、映像をリアルに近づけようとしているように見えますが、「リアル」ってそんなに美しいか? 初めてハイビジョン放送を見ると、画面の綺麗さに感動しますが、それは技術的進歩に感動するのであって、放送されているコンテンツに感動している訳ではないでしょう。

また、インターネットなどを通じて多くの情報を得れば、人は最適な判断ができるのか? この間読み終わった「リスク」という本にこんな実験が載っていました。
実験1:
腹痛を訴える患者を連れてきて複数の医師に診察させます。そして、Aという病気だと思うか、Bという病気だと思うか、それ以外の病気だと思うかを判定させます。
実験2:
次に、別の複数の医師に診察させ、Aという病気だと思うか、Bという病気だと思うか、Cという病気だと思うか、Dという病気だと思うか、それ以外の病気だと思うかを判定させます。
実験に参加した医師の能力が同等であるとすれば、実験2でC、D、その他を選んだ比率は、実験1でその他を選んだ比率と同程度になるはずですが、実際には実験2でその他を選ぶ比率が高くなるそうです。

ここから私が思ったことは、人は選択肢が多くなり検討項目が増えるほど、面倒くさくなってそれ以外の可能性に賭けるのではないかということ。つまり、情報や選択肢を多く与えられれば最適な判断ができるという訳ではないということです。

美しい風景は、たとえ文字で表されていても、発信者と受信者の周波数が合えば美しく感じるもので、ハイビジョンで「リアル」に近づけることだけが美しさを伝える方法ではないと思うのです。限られた情報を頼りに必死で考えるからこそ自分で納得できる判断(自己責任を自覚した判断)ができるのだと思うのです。情報密度を高める前に、感性や判断力を磨くことが必要なのではないかな。

こんな風に多くの情報をプッシュされることに馴れてしまうと、人間の感性、判断力、自主性といったものが失われていくのではないかと心配です。科学や技術の分野ではこのような高密度の情報が必要になることはあるのだろうと思いますが、エンターテインメントの分野くらい、ローテクでいいんじゃないですか?

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